10月30日の説教要旨 「わたしたちの立ち所」 倉松 功 先生(元東北学院院長)

ヨハネ福音書65263

 はじめに

私達の教会はプロテスタントですが、決して「新教」(新しい宗教)ではありません。日本では、カトリックは「旧教」、プロテスタントは「新教」と表しますが、カトリックが古代(4~5世紀)の教会から離脱していたのを、そこへ帰って行こうとするがプロテスタント、「新教」ではありません。

 宗教改革→プロテスタントの発足

プロテスタントは、今から499年前の1517年10月31日に発足しました。この日、ヴィッテンベルクのお城の付属教会の扉に、マルティン・ルターが95箇条の質問(問題提起)を打ち付けたことにより、宗教改革が始まったのです。それは、ローマ・カトリック教会(以下、ルターの使った「ローマ教会」と記す)の誤りを正そうとするものでした。それはローマ教会が販売していた贖宥券(通称「免罪符」)についてです。元々、「贖宥券制度」とは罪の償いの軽減のため、中世のローマ教会が案出したものでした。しかし、ルターの時代には、死後の煉獄での苦しみの軽減に及び、自分のためだけでなく、既に死んだ者のために販売されました。ルターが直接非難したのは免罪符販売の口実です。神父テッツェルは「免罪符を買った人の代金が箱に入れられ、チャリンという音がするや否や、罪赦されて魂は天国に行く」と宣伝しました。私達日本人は、神社やお寺でお賽銭を箱に入れてお参りするという光景を現代でも見かけます。似たような状況が、ルターが95箇条の問題提起をした時にあったのです。

 ルターが抗議した相手

更に、ルターの宗教改革は、カトリックが使命と考えてきた「宗教と政治を一つにする」ことに対する批判、抗議でもありました。カトリックは「救済の歴史を、政治においても信仰においても担うこと」が自分達の使命と考えていたのです。ルターの宗教改革は、このことへの抗議でもありました。カトリックの司教は、教会の監督であると同時にこの世の「領主」でもありました。だから、ルターの宗教改革は、カトリックの司教でもある領主達という、大変困難な相手に対する批判でもあったのです。

 ルターの宗教改革の遺産=「信仰のみ」「聖書のみ」

ルターの宗教改革の遺産は何といっても「(キリストを信じる)信仰のみによって救われる」ということと「権威の拠り所は聖書のみ」ということです。これに対して、カトリックは「聖書と伝統」、「信仰と伝統」、「信仰と行為」を根拠とし、大きく異なります。その「行為」とは、カトリック教会が当時決めていた行為、例えば、特定の教会への訪問や、秘蹟(サクラメント)のことだったりします。

 プロテスタントのサクラメントは2

サクラメントと言えば、カトリックは7つの秘蹟ですが、プロテスタントでは、その定義は「それ自体がキリストによって設定され、恵みを伝達するもの」、つまり、「聖礼典」のことであり、具体的には「洗礼」と「聖餐」の2つです。特に、「聖餐」についてはプロテスタントの幾つかの教派で、解釈の違いはありますが、私達の教会では、聖書の言葉を根拠に聖餐を行っています。聖餐について、聖書で語られている箇所は幾つかあります。今日の聖書箇所(ヨハネ福音書6:52-63)もその一つです。私達は、聖書の御言葉「これ(パン)はわたし(キリスト)の体であり、これ(葡萄酒)はわたし(キリスト)の契約の血である」を根拠に、聖餐を行っています。(参照:Ⅰコリント書11:23-26、ルカ福音書22:19-20等)

 ルターの宗教改革で特筆すべきこと

ルターの宗教改革で、他に特筆すべきことが幾つかあります。一つは「万人祭司」、つまり、すべてのキリスト者は、信者でも牧師でも同じように、祭司としての権威が与えられているということです。このことを、神学者のティリッヒや文学者のトーマス・マンは「宗教的民主主義」と言いました。また、「万人祭司」に対応して、ルターはこう主張しています。「領主は領民への奉仕者である。」

二つ目として、「信仰告白は、福音の伝道である」とも言われていることが挙げられます。このことは、今日の教会の伝道への励ましと受け取れます。

三つ目に、ルターのキリスト論「キリストは神であると同時に人である」「キリストは神性と人性を共有している」ということをお伝えします。これは、他の宗教改革者達(カルバン=「キリストの神性は人性の外にある。」ツヴィングリ=「キリストの神性と人性は交替する」)と異なっていますが、ルターは聖書そのものを根拠にそう説きました。私達は、ルターの遺産として「神学の根拠は聖書のみ」「信仰によってのみ救われる」ことを再び思い起こし、継承していきたいものです。