2020年2月9日の説教要旨

出エジプト記3:13-15・ヨハネ福音書8:21-30

       「神からの知識とこの世の知識」     佐藤義子牧師

*はじめに

 約2000年前に、神様の深いご計画により、神の御子イエス様が人間としてこの世に誕生され、宣教の使命を果たしていかれます。イエス様と同じ時代に生きて、イエス様と直接 言葉を交わした人々が沢山おりますが、イエス様とそれらの人々との会話を、時(歴史)と場所(空間)を越えて、今を生きる私達も知ることが出来るのは、本当に嬉しく、恵みです。

 けれども、聖書は、イエス様と、イエス様を信じようとしない人々との会話を通して、私達に,イエス様の言葉が人々の心の中に素直に入っていくことを拒む人間側の傲慢さやかたくなな心による誤解を明らかにします。

*「私は去っていく。あなた達は私を捜すだろう。だがあなた達は自分の罪の内に死ぬことになる。私の行く所に、来ることが出来ない。」(21節)

今日の箇所は、7章からの、イエス様とユダヤ人指導者達との会話の続きです(8章前半は除く)。イエス様は御自分が去った後、ユダヤ人指導者達は自分達が間違っていたことを悟り、イエス様を捜すことになるが、見つけることは出来ずに自分の罪の内に死ぬことになると予告します。

人間を神から引き離すのは罪です。罪には「的(まと)をはずす」という意味があります。神の御子を、自分の救い主として受け入れることを拒む者は、人生における「的を外した」人と言えます。なぜなら、「罪の行き着くところは、死にほかならない。」(ロマ6:21)「罪が支払う報酬は死です」(同23)とあるように、私達に「死」があるのは「罪」の結果です。しかし神様は、私達を愛するゆえに御子イエス様をこの世界に送って下さり、御子は、私達の罪をすべて引き受けて十字架で死なれました。それゆえ自分自身の罪(神から離れていた)を認め、悔い改めてイエス様を神の御子と信じる者は「罪の赦し」が与えられ、死を越えて「永遠の命」をいただいています。

*ユダヤ人指導者たちの罪

イエス様から「私の行くところに、あなたたちは来ることが出来ない。」と言われたユダヤ人指導者達は、イエス様が自殺でもするのでは・・と話しています。自殺者は呪われるので、自分達はそのような地獄には行かれないと軽蔑しているのです。イエス様は、天におられる父である神様のもとに戻ることを言われているのです。

*「あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない。」(23節)

私達すべて人間は、この世に生まれ、この世の中で育てられ、この世に属しています。私達の持つ知識は、すべてこの地上につなぎ留められています。この世は神様が造られた被造物であるゆえ、神様はその独り子をお与えになったほど、この世を愛して下さいました(ヨハネ3:16)。それにもかかわらず、この世には無知があり、神の御子が来たのに、この世は御子を認めませんでした(今も、その状況は続いています)。この世は、神から離れて罪と死の支配下に置かれているのです。

イエス様は罪の鎖につながれていた私達の、その鎖を断ち切り、罪の支配から救い出して、神様の支配下に移し変えて下さる道を開いて下さるため、「上」から「下」へ降りて来て下さいました。

*救いへの道

イエス様が開いて下さったその恵みにあずかるために、私達は何をしたら良いのでしょうか。聖書にはこうあります。「悔い改めなさい。めいめいイエス・キリストの名によってバプテスマを受け、罪を赦していただきなさい」(使徒言行録2:38)。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(同16:31)。「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われます」(ロマ10:9)。

*「わたしはある」(神の名・出エジプト記3:14)

「わたしはある」とは、そこに神様が臨在されている、永遠に存在なさるお方であることを意味し、イエス様ご自身がそのような存在であることを宣言されています(ヨハネ8:24)。(参照:イザヤ書43:10-13)。