11月10日の説教要旨 サムエル記上 30:21-25 Ⅰコリント10:23-31

「信仰から生まれる行為」 佐藤 義子      

*はじめに

聖書には、多くの人々が登場しますが、今朝は旧約聖書からダビデを、新約聖書からはパウロを取り上げて、神様を信じる信仰から生まれる行為に目を向けて学びたいと思います。

*ダビデ

ダビデの生涯は、旧約聖書 サムエル記上16章から約70頁にわたり記されています。本日の箇所は、ダビデがサウル王から嫉妬され、命までねらわれ、ダビデに従う兵士600人と共にイスラエルの敵であるペリシテ人の王アキシュのもとに逃げて身を寄せていた時の出来事です。

*ツィクラグ

アキシュ王は、ダビデのために「ツィクラグ」の領地を与えてくれたので、ダビデと妻、兵士達とその家族は、ペリシテ人の支配地域であったその場所に住み、そこから戦いなどに出て行きました。やがてペリシテ人は勢力を伸ばすため、イスラエル軍とも戦うことになりました。ダビデ達もアキシュ王と共にペリシテ軍の集結場所に出かけていきます。ところが途中で他のペリシテ人の武将たちが見慣れないダビデを見て、身元を尋ね、ダビデが、敵の民族イスラエル人であると知り、戦列に加わることを拒否し、帰るように命じます。仕方なくダビデは家来達とツィクラグに戻りますが、ツィクラグはダビデ達の留守中に、近隣に住むアマレク人の攻撃を受け、町は焼かれ、すべての男も女も捕虜として連れ去られていました。

*悲しみの中で

ダビデも兵士達も、すべてを失ったことを知り声をあげて泣き、ついには泣く力もなくなったと聖書は伝えています。ダビデは苦しみの中で、神様に、アマレク人の略奪隊を追跡すべきか、追いつけるのか御心を問いました。ダビデが聞いた答は、必ず家族達を救い出すことが出来るというものでした。そこでダビデは600人の兵士たちと追跡の為、出発します。けれども、疲れていた兵士達の中からは落伍者が出てベソル川に来た時は400人になっていました。が、さらに200人は疲れすぎてベソル川を渡ることが出来ずそこにとどまり、残る200人で追跡を続けます。

*野原で見つけたエジプト人

途中、野原で一人のエジプト人を見つけます。彼は、町に火をつけたアマレク人の奴隷でしたが病にかかり主人から捨てられ三日三晩飲まず食わずで倒れていたのです。ダビデは彼に食事を与え、元気を取り戻させた後、略奪隊のところまで案内してもらい、略奪隊に追いつきます。略奪隊は奪った戦利品を前にお祭り騒ぎをしていましたので、ダビデ達は夕暮れを待ち、彼らを襲撃して奪われた物を奪い返し、捕虜として捕まっていた自分達の家族をすべて連れ帰ることが出来ました。

*ベソル川で

ベソル川まで戻ると、疲労の為 川を渡れずその場にとどまっていた200人の兵士達がダビデ達を迎えに出てきました。ダビデは彼らの安否を尋ねましたが、最後まで戦った兵士の一人が、その場にとどまった兵士達に向かい「彼らは我々と共に行かなかったのだ。我々が取り戻した戦利品を与える必要はない。ただ妻と子供を受け取り連れて行くがよい」と言いました。途中で戦列を離れた人と最後まで戦った人との待遇は違って当然、という一般社会(この世)の考え方です。

ところがダビデは「兄弟たちよ、主が与えて下さったものをそのようにしてはいけない。我々を守って下さったのは主であり、襲って来たあの略奪隊を我々の手に渡されたのは主なのだ。荷物のそばにとどまっていた者の取り分は、戦いに出て行った者の取り分と同じでなければならない。皆、同じように分け合うのだ。

*ダビデの信仰

ダビデは、すべてのものは神様のものであり、すべては神様から来ているとの信仰で生きた人でした。ツィクラグが焼かれて、すべてを失った中で、今、愛する家族と財産を取り戻せたのは、苦しみの中で祈り求めた結果、追跡する道へと導かれたからであり、又、自分達の家族と財産を取り返すために疲れ切っているにもかかわらず、兵士達がダビデの指示に従い、それぞれが自分の限界まで戦えたのも、神様からの力と励ましがあったからであり、追跡の途中でエジプト人に出会い、道案内を受けたことで追いつけたのも、すべては神様の導きと助けなくしてはあり得ないことでした。ダビデは常に、何をするにも「インマヌエル(神、我と共にいます)の信仰が土台であり、この時も「守って下さったのは主」「略奪隊を我々の手に渡されたのは主」との告白のもとで、「皆、同じように分け合う」との行為が生まれたのです。

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*菜食主義者と肉食主義者

次に、パウロを取り上げて、その言葉に耳を傾けたいと思います。

私達クリスチャンは同じ神様を信じており、このことにおいて一つになれます。しかし、それぞれ顔が違うように性格も考え方も違うため、パウロの時代(おそらく現代の教会も)、一人一人、その信仰の表し方が違っていました。パウロの時代、教会の中には菜食主義者と肉食主義者の対立がありました。菜食主義者が、肉にこだわったのは、市場に出回っていた肉の中に、偶像の神の神殿にささげられた肉がまざっていたからです。彼らの心配は、もし偶像に供えられた肉をキリスト者である自分たちが食べることで自分達は汚されるのではないか、と不安に思ったのです。その一方で、「キリスト者はすべてから自由にされた者である」と考える人達は、偶像に供えられた肉であってもキリスト者は神様の霊を受けて救われている者であり、この世のあらゆる束縛から解放されていると考えておりました。

*パウロの言葉

パウロは、8章4節で「世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています。」と語り、たとえ、多くの神々がいるように思われていたとしても、私達にとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出て、この神へ帰っていくこと、そして唯一の主イエス・キリストがおられ、万物も、私達も、主によって存在していると宣言しています。

ですから、パウロは、この世にあるすべてのものは、天地を造られた神様によって存在し、私達も又、この神様によって存在しているので、出された肉を食べても食べなくても、それによって自分自身が汚されたり汚されなかったりするということはないと語っています。

*パウロの、菜食主義者に向き合う行動

では、信仰のゆえに食べてはいけないと考えている人達に対してパウロは、どのように向き合っていたのでしょうか。もし食事に招かれた席で、菜食主義者の人から、「それは、偶像に捧げられた肉ですよ」と親切に教えてくれた場合は、パウロは食べないと答えています。

なぜなら、もし自分が食べれば、菜食主義者の人は、自分の良心を殺して、自由に食べる人達に合わせて無理して食べることになるかもしれない。それは、結果的に、肉を食べない人達の「良心を傷つける」という罪を犯すことになる、とパウロは指摘します。

*パウロの肉食主義者に向き合う行動

その一方で、パウロは、「すべてのことが許されている」と主張している人々に対して、キリスト者であることは自由を与えられていることであると同意します。しかし、『自由』を叫ぶ彼らの「自由」が、果たして、人々の救いに役立つのか、教会を建てあげていくための、教会に仕える自由であるのか、と、その「自由」の本当の意味を問うのです。

*自由を与えられているキリスト者

私達がキリストにあって自由な者とされたことは確かです。そして、私達の自由が他人の良心によって左右されることはありません(29節)。しかし、その自由は、何でもしてよいという自由ではありません。

キリスト者はすべてのことが許されているけれども、すべてのことが益となるわけでも、自分を造り上げていくのでもなく、それをすべきかどうかは、人々の救いの為、自分の益ではなく多くの人の益を求める(33節)ことにあり「何をするにしても、すべて神の栄光を現すため」(31節)とパウロは、行為の原点に目を向けさせます。私達は聖書を通して信仰の先輩達に学び、確信をもって歩めるよう聖霊の導きを祈るものです。

2019年5月5日の説教要旨

詩編118:5-9・Ⅱコリント12:1-10

「神の力は弱さの中で現れる」   佐藤 義子

*はじめに

今年度から、毎月第一日曜日は新約聖書のパウロの手紙を読んでいくことになり、本日はコリントの手紙からご一緒に学びたいと思います。

 私達は、2週間前の4月21日にイエス様の復活を記念するイースター礼拝をおささげしましたが、それから50日後にあたる来月の9日に教会の誕生日と言われている聖霊降臨日の(ペンテコステ)礼拝をささげます。イエス様が生前、弟子達に約束された聖霊が この日 弟子達に降り、聖霊に導かれて語られた説教を聞いた多くの人々がイエス・キリストを神の子・救い主と信じてバプテスマ(洗礼)を受け、教会が生まれました。

世界地図から見れば、小さなパレスチナ地方の都市、エルサレムから始まった教会は、2000年後の今日、全世界の各地に建てられ、今も絶えることなく、イエス様が神の御子・救い主であることを宣べ伝えております。そして、日本の、宮城県の、仙台の、山田の地にも教会は誕生し、こうして毎週、福音を聞き礼拝を捧げられる幸せを神様に感謝しております。

*コリントの信徒への手紙

本日の聖書は、使徒パウロと呼ばれる伝道者がコリントの教会の信徒達に宛てた手紙で紀元55年前後に書かれたと言われます。パウロはイエス様の直弟子ではなく、初めは熱心なユダヤ教徒でした。生前のイエス様に出会っておらず、キリスト教徒を目のかたきに迫害していたある日、突然天からの光に照らされ、地面に倒され、天からイエス様の声を聞くという体験をしました。その時以来、彼は180度転換してキリスト教に改宗し、さらにはキリスト教の伝道者になりました。それだけでなく、それ迄キリスト教の伝道対象はユダヤ人に限られていましたが、パウロは当時交際を禁じられていた異邦人(ユダヤ人以外の外国人)への伝道にまで広げて、弟子と共に外国への宣教旅行を行い、本日の手紙の宛先でもあるコリントの教会など、いくつかの教会を立ち上げていきました。聖書の後ろの地図(7番-9番)を見ると、彼の伝道範囲を見ることが出来ます。

*宣教旅行

パウロの宣教は、一年とか二年とか、時には三年かけて教会の基盤が出来ると、次の宣教地へ旅立ち、又そこで伝道して教会の基盤を作っていきました。パウロが去ったあとは(不定期にですが)巡回伝道者達が集会を訪問しては御言葉を語り、信徒達を励ましていたようです(使徒言行録18:23-参照)。パウロは自分達が立ち上げた教会については、愛と責任をもってかかわり続けました。教会が正しく宣教の使命を果たし続けられるように、又、信徒達の信仰が成長していけるように、時に応じて手紙を書き、励まし、助言し、その後も再び訪問し自分が行かれない場合には弟子のテモテやテトスを遣わしたりして支え続けました。

*コリントの教会

コリントはギリシャの重要な商業都市であり、二つの大きな港を持ち、東西貿易の中継地でした。しかもローマを始め、ギリシャ、パレスチナ、エジプトなどからの植民も多く国際都市のようでした。教会はその地域に住む民族、伝統、文化などの影響を受けます。パウロはここで1年半滞在してコリント教会を立ち上げ導きましたが、コリントの文化の影響を受けた人達が集まることで教会の中ではいくつか問題が起こりました(第一:5:1-参照)。しかし本日の聖書は、それ迄の内部の問題とは異なり外部から来た人達によって起こされた問題が背景にありました。(第二10-11章参照)。パウロとコリント教会の信徒達は、深い愛と信頼関係で固く結ばれていましたが、ある巡回伝道者達がコリント教会を訪問し、その滞在中、パウロとコリント教会のつながりを切ろうとしたのです。外部からの人達はパウロのことを快く思っていなかったので、パウロが「使徒」であることを疑問視して非難中傷を始めました。彼らはエルサレム教会の指導者達(イエス様の直弟子のペテロやヤコブなど)を高く評価し、直弟子たちの体験(マタイ17章:イエス様の変貌)などを引き合いに出して、パウロの使徒職の資格や正統性を問題にしました。

*パウロの対応

彼らはパウロの「使徒としての権威」を認めなかっただけではなく、パウロが語った福音までも否定する言動があり(11:4-参照)、信徒達の中に動揺が広がりました。それを知ったパウロは、この状況を教会の危機、信徒達の信仰の危機ととらえ、自分が使徒であることの正当性と、伝えた福音の正統性を語り、信徒達が最初の信仰に立ち返り、正しい信仰に堅くとどまるようにこの手紙を書いています。パウロには、何のやましいこともなく清廉潔白でしたから、パウロだけが非難されるなら忍耐したでしょう。しかしパウロの宣教者の資格、および語る内容そのものの権威を失墜させ、すべての信頼を失わせようとするような、伝道の根幹をゆさぶる行為を見逃すことは出来ず、この戦いに負けるわけにはいきませんでした。

*「私は誇らずにはいられません。誇っても無益ですが、主が見せて下さった事と啓示して下さった事について語りましょう。」(12章1節) 

誇るとは自慢することです。パウロは「誇っても無益」と言っていますので、無益なことはしたくなかったでしょう。しかしここでパウロが誇らざるを得ないと考えたのは、自分の使徒職の権威は神様から与えられている確信を今一度明らかにせねばならず、自分の体験を語らざるを得ないと考えました。パウロが語ったのは二つのこと、「幻」と「啓示」です。

「幻」は実在しないのにその姿が実在するように見えるものです。

「啓示」は、私達人間の知恵や知識では知ることの出来ない隠されているものの覆(おお)いを、神様が取り除いて、その人に表し示して下さることです。

*主が見せて下さった「幻」

2節以下で語られた内容はパウロの実体験であるにもかかわらず、「キリストに結ばれていた一人の人」の話として語ります。パウロは14年前、第三の天(ユダヤ人の天を等級に分ける考え方。4節の楽園・パラダイス)にまで引き上げられ、しかも人が口にするのを許されない言葉を耳にしたのです。このような体験は、自分の努力や力とは一切関係しないゆえに、この幻が、神様から与えられた大きな恵みであることを彼は知っていて、これにより、神様の慰めと励まし、力を受け取りましたが、他者に言うことではなく、パウロ個人の体験としてとどまっておりました。ここでパウロは、自分自身については「弱さ」以外に誇るつもりはないと言っています(5節)。

*「啓示」 

今、教会を混乱させている外部の人達が、パウロの宗教体験の有無を問題にするならば、(本来誇るべきでない)14年前の体験を言わざるを得ないと判断しました。それを語ると同時に、この体験で自分が思い上がらないように「一つのとげ」が与えられ、そのことを通して神様の恵みを知らされたことを伝えます。彼は「とげ」を「自分を痛めつけるためにサタンから送られた使い」と言い、この使いを自分から離れ去らせるように三度も主に願ったとあります。このとげが、パウロの伝道活動を妨げていたのは間違いなく、それゆえサタンの働きと表現したのでしょう。

パウロがささげた三度にわたる祈りは、イエス様のゲッセマネの祈りに近いような、心の底から訴え出た祈りだったと想像します。そしてついに、パウロはこの祈りの応答を受け取ります。

私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮される」。

イエス様は地上でのサタンの働きを知りつつ、それをゆるしておられた上で、パウロに対しては愛をもって、恵み深くあることを伝えられました。とげを伴う肉体の弱さを前提として、それが役立つように(思い上がりを制御する)神様の力は働いていたのです。パウロがこれまで歩んできた苦難(10節:侮辱・窮乏・迫害・行き詰まりの状態など)を通して神様の恵みは絶えることなく、その中で「力」として働いていたのです。

*「わたしは弱い時にこそ強い」(10節)

私達は夜空の星の輝きを「空を見上げない限り」見ることも知ることも出来ません。それと同じように、神様を仰ぎ見ない限り神様の恵みも見ることも知ることも出来ません。恵みとは、それを受けるのに値しない者であるにもかかわらず、神様の愛と赦しが与えられて、日々守られていることです。私達が自分に与えられている 担うべき苦難の中に置かれた時、私達は自分の無力さ・弱さを嘆くのではなく、神様にその苦難を訴える時、神様は私達の弱さを引き受けられたうえで神様の力が働いていることを教えて下さいます。今週も神様を見上げつつ、注がれている恵みを数えながら歩んでいきたいと願っています。

3月11日の説教要旨 「死に勝利した復活」 牧師  佐藤義子

イザヤ書25:7-10 Ⅰコリント書15:54-58

はじめに

イエス様と弟子達は、ガリラヤ地方を拠点に伝道活動をなさっていました。この後、この一行がエルサレムへ向かうことも、「後の時代の信仰者」である私達は知らされています。ガリラヤからエルサレムへは南下するはずですが、今日の新約聖書箇所では、イエス様御一行は、逆の方向=北のフィリポ・カイサリアに赴かれたと記されています。

フィリポ・カイサリア地方で

この地方は2つのことで、イエス様御一行が従っている本当の神様とは、本来相容れない性質を持つ所です。一つは、ギリシア神話に出てくる神々の一つである「パーン」という神を崇拝する宮があったということ、もう一つは、ローマ帝国が後ろ盾となって代官に任じられたヘロデ大王の息子フィリポが、ローマ皇帝に献げるため、このフィリポ・カイサリアの都を造ったという経緯があることです。前者は異教の神、後者は権力を持つ人間のために造られた所だったというわけです。しかし、だからこそ、本当の神様とその御力を求めるユダヤの群衆からイエス様達は逃れることができたのかもしれません(ユダヤ教では異教の人々と交際すると汚れると教えていました。)。この静かな環境で、エルサレムに出発する直前に、イエス様は弟子達に大事なことが伝わっているか確認し、更に重要事項を教えようとなさったのです。

ペトロの信仰告白「あなたは、メシアです。」(29節)

イエス様は弟子達に、まず、人々が御自分を何者だと言っているかをお聞きになりました。(恐らく、次の質問の布石だと思われます。)人々はイエス様のことを「洗礼者ヨハネ」「預言者エリヤ」「預言者の一人」と言っていると弟子達は答えました。「洗礼者ヨハネ」とは、神様によって、イエス様に洗礼を授ける役割を与えられた人です。この時点で、既に彼は権力者に殺されていたのですが、人々はイエス様を、立派だった「洗礼者ヨハネ」と同じくらいすごい御方だと感じていたことを示しています。また、「エリヤ」はユダヤ教の中で最高の預言者として敬愛されていて、イエス様はその人に近いと思われていたようでもあります。また、最小の評価としても、イエス様の御言葉や御力は、人々が神様の御力を感じるのに充分だったので、「預言者の一人」と考えて間違いはないだろうと噂されていたことが、弟子達の答えからわかります。

けれども、イエス様が弟子達に一番聞きたかったことは、「人々が」ではなくて、「弟子達が」イエス様のことを何者だと言うのか、でした。主の二番目の質問に、ペトロが「あなたは、メシアです。」と答えました! イエス様を「救い主」として理解し、信じ従う人間がいて、その人が天地に向けて公言できる、この「信仰告白」こそ、イエス様にとって、本当の弟子を立てることができたという証しとなります。そして、同じように信仰告白できる人を増やすことが福音宣教の目的でしょう。ところが、イエス様は、彼らの信仰告白の内容を他の人々に話さないように戒めました。これは、イエス様の本当の弟子達以外に明かされるのは非常に責任が重いので、彼ら以外には秘密にした方がよいと、憐れみ深い「救い主」であるイエス様が判断されたからだと思われます。

「受難の予告」を信頼する弟子達に知らせてくださったイエス様

弟子の代表としてのペトロの信仰告白により、この世にイエス様の福音宣教の基盤ができたことが示され、イエス様は、その信頼できる受け手である弟子達に向けて、御自分の近い将来の定めを告げたのです。即ち、「受難の予告」です。弟子を始めとする人間達は「救い主」と言えば「栄光の主」だと当然予想しますが、イエス様が父なる神様から示された「救い主」の姿は「苦難の僕」でした。これは、人間の思考とは全く逆で、弟子達がこの内容に決して躓いてほしくないとイエス様が願われたと思われます。でも、案の定、「信仰告白」という功績を立てたはずのペトロさえ、主の御言葉とその思いを砕くように、主をいさめ始め、躓いたのです。ペトロだけでなく、弟子達全体に向かい、イエス様は人間の考えではなく、神様の御心を第一に求めるように教えました。それは自分の考えや利益や名声を捨て、自分の十字架を背負い(捨ててではなく)、「十字架の主」に従う道です。しかし、主の十字架の果てに、主の復活があります!私達=主に従う弟子達はその豊かな恵みも賜わるのです!