2019年5月5日の説教要旨

詩編118:5-9・Ⅱコリント12:1-10

「神の力は弱さの中で現れる」   佐藤 義子

*はじめに

今年度から、毎月第一日曜日は新約聖書のパウロの手紙を読んでいくことになり、本日はコリントの手紙からご一緒に学びたいと思います。

 私達は、2週間前の4月21日にイエス様の復活を記念するイースター礼拝をおささげしましたが、それから50日後にあたる来月の9日に教会の誕生日と言われている聖霊降臨日の(ペンテコステ)礼拝をささげます。イエス様が生前、弟子達に約束された聖霊が この日 弟子達に降り、聖霊に導かれて語られた説教を聞いた多くの人々がイエス・キリストを神の子・救い主と信じてバプテスマ(洗礼)を受け、教会が生まれました。

世界地図から見れば、小さなパレスチナ地方の都市、エルサレムから始まった教会は、2000年後の今日、全世界の各地に建てられ、今も絶えることなく、イエス様が神の御子・救い主であることを宣べ伝えております。そして、日本の、宮城県の、仙台の、山田の地にも教会は誕生し、こうして毎週、福音を聞き礼拝を捧げられる幸せを神様に感謝しております。

*コリントの信徒への手紙

本日の聖書は、使徒パウロと呼ばれる伝道者がコリントの教会の信徒達に宛てた手紙で紀元55年前後に書かれたと言われます。パウロはイエス様の直弟子ではなく、初めは熱心なユダヤ教徒でした。生前のイエス様に出会っておらず、キリスト教徒を目のかたきに迫害していたある日、突然天からの光に照らされ、地面に倒され、天からイエス様の声を聞くという体験をしました。その時以来、彼は180度転換してキリスト教に改宗し、さらにはキリスト教の伝道者になりました。それだけでなく、それ迄キリスト教の伝道対象はユダヤ人に限られていましたが、パウロは当時交際を禁じられていた異邦人(ユダヤ人以外の外国人)への伝道にまで広げて、弟子と共に外国への宣教旅行を行い、本日の手紙の宛先でもあるコリントの教会など、いくつかの教会を立ち上げていきました。聖書の後ろの地図(7番-9番)を見ると、彼の伝道範囲を見ることが出来ます。

*宣教旅行

パウロの宣教は、一年とか二年とか、時には三年かけて教会の基盤が出来ると、次の宣教地へ旅立ち、又そこで伝道して教会の基盤を作っていきました。パウロが去ったあとは(不定期にですが)巡回伝道者達が集会を訪問しては御言葉を語り、信徒達を励ましていたようです(使徒言行録18:23-参照)。パウロは自分達が立ち上げた教会については、愛と責任をもってかかわり続けました。教会が正しく宣教の使命を果たし続けられるように、又、信徒達の信仰が成長していけるように、時に応じて手紙を書き、励まし、助言し、その後も再び訪問し自分が行かれない場合には弟子のテモテやテトスを遣わしたりして支え続けました。

*コリントの教会

コリントはギリシャの重要な商業都市であり、二つの大きな港を持ち、東西貿易の中継地でした。しかもローマを始め、ギリシャ、パレスチナ、エジプトなどからの植民も多く国際都市のようでした。教会はその地域に住む民族、伝統、文化などの影響を受けます。パウロはここで1年半滞在してコリント教会を立ち上げ導きましたが、コリントの文化の影響を受けた人達が集まることで教会の中ではいくつか問題が起こりました(第一:5:1-参照)。しかし本日の聖書は、それ迄の内部の問題とは異なり外部から来た人達によって起こされた問題が背景にありました。(第二10-11章参照)。パウロとコリント教会の信徒達は、深い愛と信頼関係で固く結ばれていましたが、ある巡回伝道者達がコリント教会を訪問し、その滞在中、パウロとコリント教会のつながりを切ろうとしたのです。外部からの人達はパウロのことを快く思っていなかったので、パウロが「使徒」であることを疑問視して非難中傷を始めました。彼らはエルサレム教会の指導者達(イエス様の直弟子のペテロやヤコブなど)を高く評価し、直弟子たちの体験(マタイ17章:イエス様の変貌)などを引き合いに出して、パウロの使徒職の資格や正統性を問題にしました。

*パウロの対応

彼らはパウロの「使徒としての権威」を認めなかっただけではなく、パウロが語った福音までも否定する言動があり(11:4-参照)、信徒達の中に動揺が広がりました。それを知ったパウロは、この状況を教会の危機、信徒達の信仰の危機ととらえ、自分が使徒であることの正当性と、伝えた福音の正統性を語り、信徒達が最初の信仰に立ち返り、正しい信仰に堅くとどまるようにこの手紙を書いています。パウロには、何のやましいこともなく清廉潔白でしたから、パウロだけが非難されるなら忍耐したでしょう。しかしパウロの宣教者の資格、および語る内容そのものの権威を失墜させ、すべての信頼を失わせようとするような、伝道の根幹をゆさぶる行為を見逃すことは出来ず、この戦いに負けるわけにはいきませんでした。

*「私は誇らずにはいられません。誇っても無益ですが、主が見せて下さった事と啓示して下さった事について語りましょう。」(12章1節) 

誇るとは自慢することです。パウロは「誇っても無益」と言っていますので、無益なことはしたくなかったでしょう。しかしここでパウロが誇らざるを得ないと考えたのは、自分の使徒職の権威は神様から与えられている確信を今一度明らかにせねばならず、自分の体験を語らざるを得ないと考えました。パウロが語ったのは二つのこと、「幻」と「啓示」です。

「幻」は実在しないのにその姿が実在するように見えるものです。

「啓示」は、私達人間の知恵や知識では知ることの出来ない隠されているものの覆(おお)いを、神様が取り除いて、その人に表し示して下さることです。

*主が見せて下さった「幻」

2節以下で語られた内容はパウロの実体験であるにもかかわらず、「キリストに結ばれていた一人の人」の話として語ります。パウロは14年前、第三の天(ユダヤ人の天を等級に分ける考え方。4節の楽園・パラダイス)にまで引き上げられ、しかも人が口にするのを許されない言葉を耳にしたのです。このような体験は、自分の努力や力とは一切関係しないゆえに、この幻が、神様から与えられた大きな恵みであることを彼は知っていて、これにより、神様の慰めと励まし、力を受け取りましたが、他者に言うことではなく、パウロ個人の体験としてとどまっておりました。ここでパウロは、自分自身については「弱さ」以外に誇るつもりはないと言っています(5節)。

*「啓示」 

今、教会を混乱させている外部の人達が、パウロの宗教体験の有無を問題にするならば、(本来誇るべきでない)14年前の体験を言わざるを得ないと判断しました。それを語ると同時に、この体験で自分が思い上がらないように「一つのとげ」が与えられ、そのことを通して神様の恵みを知らされたことを伝えます。彼は「とげ」を「自分を痛めつけるためにサタンから送られた使い」と言い、この使いを自分から離れ去らせるように三度も主に願ったとあります。このとげが、パウロの伝道活動を妨げていたのは間違いなく、それゆえサタンの働きと表現したのでしょう。

パウロがささげた三度にわたる祈りは、イエス様のゲッセマネの祈りに近いような、心の底から訴え出た祈りだったと想像します。そしてついに、パウロはこの祈りの応答を受け取ります。

私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮される」。

イエス様は地上でのサタンの働きを知りつつ、それをゆるしておられた上で、パウロに対しては愛をもって、恵み深くあることを伝えられました。とげを伴う肉体の弱さを前提として、それが役立つように(思い上がりを制御する)神様の力は働いていたのです。パウロがこれまで歩んできた苦難(10節:侮辱・窮乏・迫害・行き詰まりの状態など)を通して神様の恵みは絶えることなく、その中で「力」として働いていたのです。

*「わたしは弱い時にこそ強い」(10節)

私達は夜空の星の輝きを「空を見上げない限り」見ることも知ることも出来ません。それと同じように、神様を仰ぎ見ない限り神様の恵みも見ることも知ることも出来ません。恵みとは、それを受けるのに値しない者であるにもかかわらず、神様の愛と赦しが与えられて、日々守られていることです。私達が自分に与えられている 担うべき苦難の中に置かれた時、私達は自分の無力さ・弱さを嘆くのではなく、神様にその苦難を訴える時、神様は私達の弱さを引き受けられたうえで神様の力が働いていることを教えて下さいます。今週も神様を見上げつつ、注がれている恵みを数えながら歩んでいきたいと願っています。