2021年8月29日の説教要旨 列王記上3:4-15・Ⅰヨハネ5:13-21

「主の御心に従う」    加藤 秀久伝道師

*はじめに

ダビデ王の後を継いだソロモン王は、ある夜 夢の中で主の言葉を聞きます。「あなたはどんなことでも求めなさい。わたしはあなたに与えよう」。その言葉にソロモンは次のように答えました。「・・・わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません・・・どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕(しもべ)に聞き分ける心をお与えください・・・(6-9節)。」

ソロモン王が主に願ったことは、主の目に適(かな)い、主は、このソロモンの願いを喜びました。神様は、私達にも同じように、このような主の目に適う願いごとを求めることを願っています。

*主の御心に適う願い

 本日の、ヨハネの手紙一 5:14では、神様は、イエス様を信じる者達の祈りや願い、望みを聞き入れて下さると約束されています。そして私達は、神様からの祈りの応(こた)えによって、信仰が強められ、神様への讃美へと導かれていきます。

しかし、ここで私達が注意しなければならないことは、私たちの願い、望みが応えられるのは、「神の御心に適(かな)うことを願うなら」と、記されていることです。私達が何か望みを持って神様に願う時、その祈りが、神様の御心にかなうのかどうか、神様に喜ばれるものであるのかどうかと、少し立ち止まって考えることも大切です。

*イエス様の祈り

 イエス様は十字架にかかる前の夜、弟子達を連れてゲッセマネに行き、父なる神様に祈りを献げるために一人になりました。

その時イエス様が父なる神様に祈った言葉は、「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように(マルコ14:36)。」です。

イエス様は、神様への信頼の言葉と自分の願いを祈りながらも「しかし」と続け、神様の御心に適うようにと願い求めました。

*神様に御心に適う生き方

 私達は、神様の御心が行なわれることを祈り、神様に自分の思いを委ねて、信頼して、日々お祈りをささげているでしょうか。

人は、自分に与えられている能力や時間・お金を、自分の所有物のように自分の欲しい物、自分のやりたいことに使います。しかし本来、私達に与えられているものは、神様に献げるためのものです。神様と話をするため、神様を礼拝するため、神様の言葉に向かうためのものなのです。

ソロモン王は、神様に礼拝するために多くの時間やお金、能力を使い、神様に真剣に向き合いました。神様の御心に適(かな)う者とは、自分の欲望に左右されることなく、神様との時間や神様との関係作りを優先する者を意味します。神様は、御心に適う者に永遠の命を与えます。

*永遠の命を受けるものへ

ヨハネの手紙では、「死に至らない罪」と「死に至る罪」があることが告げられています。人の犯す罪が、「死に至らない罪」であるならば、たとえ今、イエス様を信じることが難しくても、神様のご計画の中で、神様の子供とされることができます。私達は希望をもって主の救いを祈り続けて良いのです。しかし「死に至る罪」を犯す者については、私達は神様にお委ねするしかありません。それはとても厳しい現実ですが、神様の義です。

私達はイエス様を信じて受け入れた時に、罪が赦されて死に至る者から、永遠の命を受けた者へと変えられます。永遠の命とは、神様と人間が永遠に共に生きることが出来るということ、神の国、天国に入ることが出来ることを意味しています。

私達は、日々イエス様が、私の救い主であることを感謝して、信仰を新たにしていきましょう。

そして神様に呼ばれて応(こた)えた者として、安心して、神様の大いなる祝福を期待して、今週一週間の歩みを始めて参りましょう。