「主の戒め」 加藤 秀久 伝道師
*はじめに
レビ記は17章始めに、「神聖法集(17-26章)」との見出しがあります。
その目的は19:2に「イスラエルの人々の共同体全体に告げてこう言いなさい。あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である」と述べられています。つまり、イスラエルの民が、聖なるお方である父なる神の、主の民となり、聖なる者、聖い者となるための掟が定められているからでしょう。
*「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」(19:18)
この隣人愛の戒めで「自分自身を」と訳されている元の言葉では「あなたのように」と訳される言葉です。これら二つの訳は、どちらも同じような意味合いになるかと思いますが、「あなたのように」と訳すと、「あなたと同じ立場にある『人』として愛する」という、微妙な意味になります。
このことから、元の言葉で伝えようとしていることは、「あなたの隣人に対してあなたのように愛しなさい。」「あなたと同じような、もう一人、又は、複数のあなたがいると思って愛しなさい」と告げていると思います。
そして19章では、モーセが神様から与えられた十戒を通して聖なる者となることと、日々の歩みの中で具体的な戒めを記すことで、私達の生活の基盤としてこの戒めを守り、行うことを、民にはっきりと示しています。
*十戒(じっかい)
➀あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
②あなたはいかなる像も造ってはならない。
③あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
④安息日を心に留め、これを聖別せよ。
⑤あなたの父母を敬(うやま)え。
⑥殺してはならない。
⑦姦淫(かんいん)してはならない。
⑧盗んではならない。
⑨隣人に関して偽証(ぎしょう)してはならない。
⑩隣人の家を欲してはならない。
*「聖なる者となりなさい」
元の言葉では、(わたし、まことの神が聖いのだから)「聖なる者となるであろう。」となります。神様がイスラエルの人達に、「父なる神である わたしが聖(きよ)いのだから、あなたもわたしを信じて従い続けることによって、聖い者となるであろう。」と伝えているのです。
これは、今現在もこれからも、将来必ず、あなたを聖い者としますよ」と、預言されている言葉なのです。
私達は果たして聖なる者へと変えられることができるのでしょうか。私達は、私達の力だけでは聖なる者になれないし実現は不可能でしょう。
*神様はご自分の霊を分け与えられた(1ヨハネの手紙 4:13)
そこで神様は、私達の生活の場へとイエス様を遣わして下さり、イエス様は人として歩んで下さいました。最後は十字架刑で亡くなられましたが、これは神様のご計画によるものでした。イエス様の死は、私達人間の罪を取り除く贖(あがな)いの死(罪の赦しを与えるための、身代わりの死)であり、それによって私達は、神の御国に入る権利を与えられました。このイエス様の死がなければ、私達は神様の霊を受けることは出来ず、聖い者になる権利もありませんでした。イエス様が復活されて天に昇られた後、人々が心を一つにして祈っている時、神様の霊が降り、人々の上に留まることを通して、私達は神様を身近に感じ、神様の霊が私達の心の内に宿っていることを感じることができるようになりました。
この霊によって、私達は神様との関係作りを持ち、神様と個人的な交わり、関係性、信頼関係が深まれば深まるほど、神様からの知恵・知識や神様の御心・ご計画も知ることができると今日の聖書は伝えています。
*わたしたち
本日のヨハネの手紙の15節では、「イエスが神の子であることを公に言い表す人はだれでも、神がその人の内にとどまってくださり、その人も神の内にとどまります。」とあります。ですから私達は、聖なる神様を信じて従い続けることによって、私達の内にとどまって下さる神様からの聖霊の導きと助けのもとで「聖い者」へと変えられていくのです。