2023年3月19日の説教要旨 詩編29編1-16・ルカ書9:28-36

「栄光に輝く主」     加藤 秀久牧師

*はじめに

先週、「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」とのイエス様の問いに、ペトロは、「神からのメシアです」と信仰告白したことを学びました。このあとイエス様は、これからご自身が受けようとされる受難(私たちの罪・過ち・負い目を赦すために十字架にかかること)と、復活の予告をされて、さらに、イエス様についていきたい者は、先ず自分を捨てて、日々の生活の中で自分の背負うべき十字架を背負い、イエス様を信じて従がうようにと弟子達におしえられたことを学びました。

本日のルカ福音書には、それから八日後の出来事が記されています。

*イエス様と、モーセとエリヤ

イエス様は、弟子のペトロ、ヨハネ、ヤコブの三人を連れて祈るために山に登られました。イエス様が祈っておられるうち、イエス様の顔の様子が変わり、服は真っ白に輝きました(29節)。そこに、イエス様と語り合う二人の人物 、モーセとエリヤが現れました。

モーセはイスラエルの人々をエジプトから導き出し、神様から「律法」を与えられた人であり、エリヤは、列王記(上)17章から、(下)2章までに登場する預言者です。旧約聖書最後のマラキ書3:19以下には、「来るべき主の日」の預言の中に、モーセとエリヤの名前を見ることが出来ます。

イエス様と語り合うモーセとエリヤは、「栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた(31節)」とあります。この「栄光に包まれて現れ」という表現から、モーセとエリヤが天にいる存在、神様の国にいることを示し、イエス様がこれから十字架にかかり、その死を乗り越えて復活し、天に昇られる旅立ちの予告をしているように考えられます。

これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け

 栄光に輝くイエス様と語り合っていた二人が、イエス様から離れようとした時、ペトロは「仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです(33節)」と言いました。ペトロは自分でも何を言っているのか分からず、おそらく、天にいる存在の現れを見て、この地上でもとどまっていて欲しいという想いから、その可能性を願ってのことでしょう。

やがて雲が現われ、彼らが雲の中に包まれていき、雲の中から声が聞こえます。「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と。その声がした時、そこにはイエス様だけがおられました。神様はこうしてイエス様の栄光に満ちた不思議な光景を弟子達に見せられました。イエス様だけが天と地との間を取り持つ存在であることを現わしています。

*神様の栄光

 本日の詩編29編は、神様の栄光を称えています。「主の御声は水の上に響く。栄光の神の雷鳴はとどろく。主の御声は力を持って響き 主の御声は輝きを持って響く(3-4)」。「主の御声は杉の木を砕き 主はレバノンの杉の木を砕き・・(5-6)」

この詩編作者は、天上における神様の栄光と力が地上に現われる時には、神様の声は雷鳴として響き、恐るべき威力をもたらし、名高いレバノン杉が落雷によって引き裂かれるほどであると称えます。神様の御声は聖なる輝きを伴って響く、と、神様の力強さに打たれて神様の栄光を称えています。神様の栄光は、昔も今もこれからも私達の生活する世界の至る所にまでおよびます。 

本日のルカ9:32では、ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると「栄光に輝くイエス」とそばに立っていた二人を見たと記しています。山上で語られたイエス様の、エルサレムで遂げようとしておられる最期が、「受難」の死で終るのではなく、「復活」の出来事へとつながることを、このあとの51節「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた」でも知らされます。

すべての創造主であり支配者であられる神様から「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言われた御子イエス様を信じて、私達は 今週も、イエス様についていく道を歩んで参りましょう。