2023年2月26日の説教要旨 詩編66編・ルカ福音書4:1-13

「誘惑からの脱出」     加藤 秀久牧師

*はじめに

私たちは、なぜ誘惑を受けるのでしょうか。私達が正しいこと(神様の教え・聖書の教え)をしようとすればするほど、その事から私達を引き離そうとする力が働いてしまう出来事が起こることがあります。

 本日のルカ福音書4章のすぐ前にはイエス様の系図が記され、その系図は、(マタイ福音書のアブラハムからの系図と違い)イエス様から始まってアダムへとさかのぼります。アダムは、エデンの園で罪を犯して園から追放されましたが、その後も人間は絶えず悪魔の誘惑にさらされることになりました。悪魔の誘惑にそそのかされて罪を重ねていく私達のために、神様は、アダムに代わる第二のアダムとして御子イエス様を、私達の生活する地上へ遣わし、悪魔の誘惑を受ける荒れ野へと導き出されました。

*悪魔の最初の誘惑・・神の子なら、石をパンに

 2節で、イエス様が荒れ野で何も食べずに40日間を過ごしたあと空腹を覚えられた時、悪魔の誘惑を受けられます。具体的な内容が3~12節に記されています。悪魔は、「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」と言いますが、イエス様は、「『人はパンだけで生きるものではないと書いてある」と答えられました。これは、旧約聖書の申命記8章2~3節にあり、以下の言葉が記されています。

あなたの神、主が導かれたこの40年の旅を思い起しなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわちご自分の戒めをまもるかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった

*二つ目の誘惑・・わたしを拝むなら、一切の権力と繁栄を与えよう

 6節で悪魔は、「国々の一切の権力と繁栄は私に任されているから私を拝むならあなたに与える」と言って誘惑します。この誘惑は一見、全てのものが悪魔の力によって治められているような錯覚を受けますが、マタイ福音書28:18でイエス様は「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。」と言われています。悪魔を拝むなら権力と繁栄を与えるとの誘惑に対してイエス様は申命記6:13「あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、御名によって誓いなさい」と答えられました。

*三つ目の誘惑・・神が天使に命じて守らせるから、飛び降りてみよ

悪魔は、さらにイエス様を神殿の屋根の端に立たせて、そこから飛び降りるようにと言いました。けれどもイエス様は、再び申命記の言葉を引用して「あなたの神である主を試してはならない」(6:16)と答えられました。この後悪魔は、13節にあるように、「時が来るまでイエス様を離れ」ますが、やがてイエス様が十字架の死を迎えられたあと復活してイエス様が死に勝利される、その時が必ず来ることをここで暗示しているようです。

*「全地よ、神に向かって喜びの叫びをあげよ。御名の栄光をほめ歌え。栄光に賛美を添えよ」(詩編66:1~2)

イスラエルの人達がバビロン捕囚で体験した屈辱的なことは、神様への信頼と悔い改めの心をもたらし、新しい決断(誓い)へと導かれていきました。神様への礼拝は、エルサレムに帰ってきた全ての者達のするべきことであり、同時にこのことは、私達、信じる者が地上で生活する時も同じです。

*わたしたち

 イエス様が悪魔に勝利されたのは、自分の必要を満たすために奇跡などを用いることなく、父なる神様に対する無条件の信頼と悪魔に対して、完全に神様に従う態度を示すことにありました。私たちの日々の生活の中でも、荒野でイエス様が会われたような試練と誘惑が存在し、困難や、いろいろなしがらみもあります。そのような中で私たちは、本当の光である神様を信頼して従い、詩編作者のように神様に向って喜び、ほめ歌い、讃美し、生涯、神様を礼拝して仕えていくことを『最高のささげもの』としていく道を歩み続けていきましょう(66:13~20)。