2023年11月12日の説教要旨 創世記12:1-9・ロマ書4:13-25

             「神の民の選び」      加藤 秀久牧師

*はじめに

本日の創世記には、アブラハムが神様の恵みによって神様に呼び出されたことが記されています。アブラハムは神様から何の理由も告げられないまま住んでいたハランから「神様が示す地」に行くように命じられました。

この神様の恵みによる呼び出しには、神様からの約束が結びついていました。神様の呼びかけ、語りかけは次のように記されています。

「主はアブラム(元の名)に言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」

*召命

ここで繰り返されている「あなた」とは、アブラハムへの語りかけであり、呼び出しです。アブラハムは、神様からの呼び出しは信頼すべき事柄であると確信し、しっかりと応えて、一族を伴ってカナン地方へ向かって出発し、カナンの地に入りました。主は言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。」(12:7) 私達は、アブラハムの召命を見る時、「召命」とは、神様がご自身の救いの計画のために、ある特定な人を呼び出すこと、個人に与えられる神様からの使命、計画を受け取ることだと思いがちです。しかし、私達一人ひとり、聖書を読む者たちへの神様のご計画や神様から与えられた行動、使命の始まりは、(個人的に違いがありますが)、「神様に仕え、神様に従う」ということにある、とを伝えようとしていると思います。

また、神様を受け入れる・神様を信じる・という出来事には、人それぞれの時期、違いがあることを、ここで告げているのかもしれません。

私のように、神様の恵みの呼びかけを受けたと感じた者たちは、よりいっそう神様からの呼びかけの、その具体的な「時」を待たなければならない時間があるということも、教えようとしていると思います。

ある人には、神様からの恵みのその時が早く起きるかもしれず、ある人には、多くの時間を費やして待たなければならないかもしれません。しかし、どのような状況にあろうとも、私たちは確かに神様からの呼びかけの声、はっきりとした神様からの声を聞いたから、「今」という時を待つことができる、「今」そのことが起きているといえるでしょう。神様からの「あなたは・・しなさい」という声は、私たち個人に向けられたものであって、他の人には関係ありません。

*信仰の父・アブラハム

アブラハムは「神の民」であるイスラエル民族の祖先であり人類全体の「信仰の父」と言われる人物ですが、聖書ではすでに、「アベル(4章)、エノク(5章)、ノア(6章)」が登場しています。 なぜアブラハムは「信仰の父」と言われるようになったのでしょうか。ロマ書4:11には「アブラハムは、割礼(かつれい)を受ける前に信仰によって義とされた証しとして、割礼の印(しるし)を受けたのです。」とあり、割礼を受けたユダヤ人だけでなく、アブラハムの信仰を受け継ぐ「信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められました。」とあります。

*わたしたちの信仰

私たちも、どのような形であれ、神様からの恵みの呼びかけの言葉を聞いていると思います。聞いたことがないという人は、その言葉が聞けなかったのではなく、ただ、心に響いてこなかっただけだと思います。私たちの心がどこに向けられているか、で、神様の声を聞くことが出来るか出来ないかになっているだけではないでしょうか。

アブラハムの信仰は、自身と家族のためだけでなく、近い将来、又、遠い未来に至るまで、血縁関係にある子孫や、信仰によって義とされた者達の子孫をも含み、神様の祝福が必ずそこにある(幸いが及んでいく)という信仰です。私達も、神様から頂いた恵みと祝福を、近い将来、遠い未来まで、さらに神の家族として与えられている会員の方々の子孫をも含んで、神様の祝福を受け取ることが出来るという深い信仰を持ち、神様の恵みの声に耳を傾けながら一週間の歩みを始めて参りましょう。