9月20日の説教要旨 「大きな利得の道」 牧師 佐藤 義子

箴言30:7-9・Ⅰテモテ書 6:2b-12

 はじめに

今日の説教題を見て、「アレ」と思った方はいらっしゃいませんか。利得とは利益を得ること、もうけることです。この世とは違う価値観に立つ、ご利益宗教とは言えないキリスト教の教会で「利得の道」を説くなど、違和感を覚える方もおられるでしょう。一般社会において御利益とは、この世で価値あるものを手に入れることです。たとえばお金です。貧乏は不幸であり、お金は人を幸せにする魔法の道具のように考える人々が多いのです。しかし、聖書は、何と言っているでしょうか。

 旧約聖書

肥えた牛を食べて憎み合うよりは、青菜の食事で愛し合う方がよい。」(箴言15:17)

乾いたパンの一片しかなくとも平安があれば、肉で家を満たして争うより良い(同17:1)

二つのことをあなたに願います。むなしいもの、偽りの言葉をわたしから遠ざけてください。貧しくもせず、金持ちにもせず、わたしのために定められたパンで 私を養って下さい。飽き足りれば、裏切り 主など何者か、というおそれがあります。貧しければ、盗みを働き わたしの神の御名を汚しかねません。」

 新約聖書

金持ちになろうとする者は、誘惑、わな、無分別で有害な、さまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。

ここには、金持ちになりたいと考えるならば、さまざまな欲望が出てきて、その欲望が自分の考えていた幸せとは違う、滅亡と破滅におとしいれると警告しています。では、聖書は、どのように教えているのでしょうか。

 足るを知る

今日の8節には、「食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。」とあります。今朝読んだ旧約聖書の祈りでも、他人をうらやむのではなく、「わたしのために定められたパンで養って下さい」と、自分にとっての必要量・程度があり、それで足れりとする幸せがあることに目を向けさせます。

 テモテへの手紙

この手紙は、使徒パウロが弟子のテモテにあてて書いた手紙で、目的はこのように記されています「わたしのこの命令は、清い心と、正しい良心と、純真な信仰とから生じる愛を目指すものです。」(1:5)。

そして、今日読んだ前半では、教会の教えと違うことを教えた教師達に向けて厳しい言葉を語っています。彼らは自分の考えている理論を優先してイエス様の言葉を軽んじました。その教えが正しいか否かは、その教えから生まれる結果を見れば明らかです。彼らの教えからは、ねたみやあらそい、中傷、邪推、絶え間ない言い争いが生まれるのであって、精神が腐り、真理に背を向けていると、パウロは断罪しています。

  「信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道」

これは6章6節の言葉です。「信心」は「敬虔」とも訳されます。箴言1章7節に、「主を畏れることは知恵の初め」とありますが、天地万物を創り、人間に命を与え、私達の生と死を支配されておられる神様を信じて、畏れ敬うこと、御子イエス・キリストを信じて、その教えに従って生きることが、「敬虔」の中身です。「足るを知る」ことと結びついた、主を畏れる信仰・敬虔は、私達に大きな利益をもたらしてくれると、ここで教えています。その大きな利得とは何でしょうか。

  永遠の命

私達は何も持たずに世に生まれ、世を去る時は何ももっていくことができ」ません(7節)。それゆえにパウロはこう語ります「正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、信仰を表明したのです。」信仰には戦いがあります。しかしその戦いは無意味ではありません。御子イエス様と共に信仰の道を歩む時、私達は神様からくる平安が与えられ,約束された「永遠の命」を手にするのです。

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