8月28日の説教要旨 「悔い改め」 牧師 平賀真理子

イザヤ書81623 ルカ101316

 はじめに

今日の新約聖書は、前の段落の続き、つまり、72人の弟子達の派遣にあたり、イエス様が弟子達に語ってくださった御言葉です。

 ソドムより罪が重い町々

前の段落の最後で、罪深いために、天からの火で滅ぼされたというソドムの町の名が出ました(創世記19:1-29)。そのソドムにも増して罪が重いのが、福音を聞いても受け入れない人々、また、受け入れない人だらけの町々であると示されました。そう言いながら、イエス様は、かつて実際に体験された、福音を受け入れない町々を思い出されたのでしょう。今日の箇所の中で、5つの町の名が挙げられています。コラジン、ベトサイダ、ティルス、シドン、カファルナウムです。

 福音宣教の拠点カファルナウムと近隣の町コラジンとベトサイダ

その中でも、福音宣教の拠点カファルナウムは最も恵みに溢れた町、福音が一番多く語られたはずの町です。しかし、福音やイエス様を受け入れなかったために、「陰府にまで落とされる」=一番下に貶(おとし)められるようになるとイエス様が預言されたと15節に書かれています。また、近隣には、聖書の後ろに載っている地図6で見てわかるとおり、コラジンとベトサイダがあります。この2つの町も、カファルナウムの次に福音がよく語られた町だったに違いありません。ですから、福音を聞く恵みをたくさん与えられたはずです。イエス様の御言葉を聞いたり、力ある御業を目の当たりにしたはずです。にもかわらず、その町の人々の多くが、福音やイエス様を受け入れなかったのです!13節では、この2つの町の名の後に「不幸だ」とありますが、これは意訳されています。元の文章には、「ああ、コラジンよ!ああ、ベトサイダよ!」と言って、悲嘆にくれる感嘆詞が書かれているだけです。これらの町の罪深さ故に滅びていく様子が、主には見えていたのでしょう。

 異邦人の町ティルスとシドン

ティルスとシドンは、ユダヤ民族の領域に隣接した異邦人の町々でしたが、イエス様の福音を遠くから聞きに行ったり来たり(6:17)、イエス様への大いなる信仰ゆえに娘を癒してもらった「カナンの女」のいたこと(マタイ15:21-28)で、聖書にも記録されている町です。ユダヤ人の伝統的な見方からすれば、神様から遠いはずの異邦人のティルスやシドンの人々の方が、まだ、神様の御心に近いとイエス様は思っておられたことがわかります。それは最高に大事な一点、つまり、福音やイエス様を受け入れるという点において、ユダヤ人達よりも、これらの町々の異邦人達の方がまだ可能性があると思われたからです。

 新しい基準による祝福と罰の掟

このように見てくると、もはや古い基準=神様が選んだユダヤ民族かどうかという旧約の基準よりも、重要とされる基準が新たに立ち上がっていることがわかります。それは、神の国の福音や「救い主」イエス様を受け入れるかどうかという新約の基準です。そして、神様の恵みによって祝福されるべき使命を負った町や人々が、その祝福を受け入れなかった時には、恵みとは逆の罰を受ける定めにあることが、ここではっきり示されています。恵みが大きい分、罰も大きなものになることを、福音を聞く恵みを得た者は肝に銘じておかねばなりません。

 弟子達を受け入れる=イエス様を受け入れる=天の父なる神を受け入れる

今日の箇所の最後16節によって、ルカ福音書がこの御言葉をこの箇所に置いている理由を類推できます。イエス様は、その憐れみから、弟子達を派遣する前に、受け入れられないという憂き目に遭っても力を落とさないように、励ましておられるのです。福音伝道の大事な使命を帯びた弟子達の後ろには、イエス様がついていてくださること、更にその後ろには、天の父なる神様がついていてくださることを、イエス様は宣言されたのです。この「派遣される弟子達」の中に、実は、私達も含まれています。

 悔い改め

13節には、「粗布をまとい、灰の中に座る」という旧約時代の悔い改めの態度が記されています。主の十字架と復活の恵みを賜っている私達は、外見上はこの姿をする必要はありませんが、その心積りは受け継ぐべきです。私達は神の国の民とされているのに、度々この世の価値観に戻ってしまっていないでしょうか。そのような時、「悔い改め」が必要です。再び神様に心を向け、神様の御心に適った生き方へ再度踏み出せるよう、聖霊の助けを祈り求めましょう。

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