12月31日の説教要旨 「シメオンの賛歌」 牧師 平賀真理子

ゼカリヤ書12:10 ルカ福音書2:25-38

はじめに

主の御降誕を祝う降誕節に入りました。今回、アドベントに入ってから、ルカによる福音書の中にある3つの賛歌(神様をほめたたえる歌)を学んできました。今日は3つめの「シメオンの賛歌」を中心に見ていきたいと存じます。

ご降誕なさった幼子イエス様が神殿に来られるまでのいきさつ

ルカ福音書の2章の前半では、イエス様がこの世に実際に誕生され、その出来事を知らされた羊飼い達が幼子イエス様を探し当てたことが書かれています。続いて、イエス様は天使のお告げどおり、イエス(「ヤハウェは救い」という意味、ヨシュアのギリシア語名)という名が付けられたと記されています。この世での両親であるヨセフとマリアは、ユダヤ教の律法に従い、「生まれた子供を聖なる者」として献げるため、神殿に来たことから、今日の出来事は起こります。

シメオンが神殿で幼子イエス様に出会うまでのいきさつ

イエス様がこの世にお生まれになった頃、イスラエルの民は、異邦人ローマ人が支配する「ローマ帝国」による非情な圧政に苦しんでいました。そんな困難な状況の中、シメオンは信仰深く生きていました。そして、神様が自分にしてくださった約束「救い主を見るまでは死なない約束」を信じ続けたのです。異邦人の武力支配の中、本当の「救い主」がこの世に来られ、本当の救いをもたらす御方としてこの世に生まれたことを、聖書は「聖霊の導き」によるものだと証ししています。

シメオンの賛歌(「万民の救い主」と出会った喜び) 

待ちに待った「救い主」に会えるだけでも恵みですが、シメオンはその腕に抱くことができ、それを神の恵みとして実感としたことでしょう。そして「シメオンの賛歌」が彼の口を通して表わされました。その前半(29節―30節)では、神様が遣わしてくださった「救い主」に出会えたこと、神様が自分との約束を果たしてくださったこと、その恵みを体験できたことを喜び、神様に感謝を献げていると思われます。

「救い主に出会う」という喜びが与えられたことについては、私達信仰者も同じです。私達は思いがけず、福音に出会う機会を神様によって与えられました。救い主の存在を知らされ、その教えに従って生きることを許されています。それでも、教えどおりにできないことは多いかもしれません。けれども、そんな自分を、神様がその都度許してくださり、神の民として必要としてくださる、そのことに大きな喜びを覚えます。

さて、「シメオンの賛歌」の後半(31節-32節)は、30節の「神様が人間のために準備してくださった救い」とは何かを説明しています。救い主イエス様は「万民のための救い」である、更に進んで31節では「異邦人を照らす光」であるとあります。マリアの賛歌もザカリアの賛歌(預言)も、どちらかというと「イスラエル民族の救い」が中心に謳われていました。イエス様はイスラエル民族の男子として生まれて育つので、その民族の救いが期待されるのは勿論ですが、福音が広がれば、「救い主」を産み育てたイスラエル民族の誉れも大きくなります。しかし、シメオンの賛歌では、イエス様はイスラエル民族だけの救い主にとどまらず、異邦人に「本当の神様」を知らしめる御方であると謳われていることが、他にはない特徴です。

救い主イエス様の十字架についての預言

「シメオンの賛歌」については、もう一つ、但し書きのような、付け足しの預言があることも特徴です(34節b-35節)。福音書にもあるとおり、この後、イエス様の御言葉や歩みによって、イスラエルの人々は、それを支持するのか反対するのかで、大きく動揺していきます。権力者は倒され、その権力者から貶められていた人々は、イエス様から立ち上がる力をいただきました。しかし、権力者達の反感は大変大きく、悔い改めない人々の罪により、イエス様は刺し貫かれること(十字架刑)となり、母親であるマリアがそれを見て心を傷める出来事の預言がなされています。

女預言者アンナの役割

この時、「救い主」イエス様に出会った女預言者アンナが人々に幼子イエス様のことを話したことも大事な役割です。シメオンは救い主に出会って神を賛美し、アンナは人々に伝えました。聖霊に満たされた人間の様々な働きを通し、福音伝道は神様主導の出来事として成就されていくのです!