12月16日の説教要旨 「イエス・キリストの誕生の予告」 平賀真理子牧師

イザヤ書7:14  ルカ福音書1:26-38

 *はじめに

 前回、洗礼者ヨハネは、救い主イエス様の先を歩み、「主のために荒れ野に道を備える者(イザヤ40:3)」として、最初から、神様の御計画の重要な一部だったことをお話ししました。このヨハネの父親であるザカリアに対して、息子の誕生を予告したのが、天使ガブリエルでした。

 

 *天使ガブリエルが、イエス様の母親となるマリアへ受胎告知する

その同じ天使ガブリエルが、私達の主イエス様がお生まれになることを、イエス様の母親として選ばれたマリアの所へ受胎告知に来ました。

 

 *洗礼者ヨハネの場合は父親へ、救い主イエス様の場合は母親への告知

洗礼者ヨハネの場合は、お告げを受けたのは、父親ザカリアだとルカによる福音書は記しています。ところが、救い主イエス様の時には、母親として選ばれたマリアがお告げを受けました。一方は父親に、もう一方は母親に、それはなぜでしょうか。

正解は神様だけが御存じですが、それでも想像してみたいと思います。私は四つ想像しました。一つめは「本当の父親の違い」、二つめは「低くされた者を高くするという神様の御心」、三つめは「予想される結果の違い」、四つめは「イエス様を巡る役割の違い」です。

 

 *本当の父親の違い

洗礼者ヨハネの父親は「祭司ザカリア」、つまり、人間です。ところが、イエス様の父親は、本当の神様です。その御方がイエス様をこの世に送るのことをお決めになったのです。だから、その直接の受け手である人間としての母親に選ばれたマリアに、まず告知される必要があったということでしょう。もちろん、この世における父親の役割を引き受けるヨセフも重要な存在です。救い主が生まれるのは、ダビデ王の子孫からという預言がよく知られていました。神様は、この預言を守るために、つまり、民の期待に添うために、マリアの産む子がダビデ王の血統のヨセフの子供とされることを重んじて、実現してくださったのです。

 

 *低くされた者を高くする神様の御心

洗礼者ヨハネの父親ザカリアは祭司であり、当時の社会では最も尊敬される階級でしたし、天使のお告げの時は都にあるエルサレム神殿で一世一代の重要な任務を遂行中で、人間界において最高の立場にいました。一方、イエス様の母マリアは、田舎のガリラヤの一介の年若い女性です。人間的に言えば、重んじられるのはザカリア、軽く見られるのはマリアです。しかし、ザカリアの息子ヨハネは決して救い主ではなく、その露払いとでもいうべき存在です。マリアの息子として生まれるイエス様こそ救い主です。人間界で低くされた者と高くされた者が、神様の御前においては逆になる、本当の神様の御心はそのような御性質をお持ちです。高くされて傲慢になっている人間の心は、神様の御心に合わないのであり、低くされた者の謙遜をこそ、神様は愛されるのです。

 

 *予想される結果の違い

ザカリアの場合、息子の誕生は長年の願いが叶うことであり、ザカリア夫婦や周囲の人々も喜んで受け入れられることです。一方、マリアの方は、婚約中であるとは言え、夫婦生活に入っていないのに身ごもるのは、婚約者や周りに姦通を疑われ、死罪も覚悟せねばなりません。だから、マリアが自分の判断では妊娠するはずがないと言って、天使の言葉を一旦否定するように答えたのに、ザカリアとは異なり、彼女は罰せられず、天使は「それは聖霊(神の霊)の業だ」と丁寧に説明を重ねます。

 

 *イエス様を巡るザカリアとマリアの役割の違い

洗礼者ヨハネは「イエス・キリスト」に対して、人々の心を霊的に準備(悔い改め)させ、また、イエス様が「救い主」としての公生涯を始める時の儀式である洗礼を授けるという重要な任務を課せられていました。つまり、イエス様のこの世における霊的準備を担う存在です。ザカリアはそのヨハネの生育を担ったわけで、イエス様に対しては間接的です。一方、マリアは聖霊を受けて胎内に「神の御子」を宿し、この世での人間という肉体を取らせて生育するという直接的な存在です。だから、母マリアの方に天使が告知したことをルカ福音書は強調したと推測されます。イエス様の母親に選ばれたマリアの「(主の)お言葉どおり、この身になりますように(38節)」という全き従順さを私達は目標にしたいものです。