2月10日の説教要旨

イザヤ書53:6-12  ルカ福音書23:13-23:25

「罪無き御方への死刑判決」 平賀真理子牧師

*はじめに

私達の主イエス様が、救い主としての主要な定めである「十字架刑(死刑)」を前に3つの階層の人々から裁判(尋問)を受けたことを、前回学びました。1つめの階層であるユダヤ人の指導者達はイエス様を最初から有罪にしようとし、最高権力機関である「最高法院」で、「瀆神罪(神を冒瀆する罪)」を犯したと判決を出しました。しかし、2つめの階層であるシリア総督ピラトと3つめの階層であるガリラヤ地方(イエス様の出身地)の領主ヘロデ・アンティパスは、諸事情からイエス様を有罪とする判決を決して出そうとはしませんでした。

*ローマ帝国の総督ピラトのイエス様に対する「無罪宣言」

 ヘロデ・アンティパスは、自分の前で何も語らないイエス様をローマ帝国の総督ピラトの所に送り返しました。ピラトは、自分にとって、面倒な判決をとうとう自分が出さなければならないと悟ったのでしょう。ピラトは、ユダヤ人社会のあらゆる階層の人々(宗教上の指導者である祭司長達、政治上の指導者である議員達、民衆)を呼び集めて、「ナザレ人イエスには何の罪も見つからない」と宣言しました。ルカ福音書では、ピラトのイエス様に対する無罪宣言を、ここで3回も繰り返しています。「神の民」であるユダヤ人のあらゆる階層に向かって、神を知らないはずの異邦人の権力者ピラトが「イエス様は罪が無い」と宣言したのです!

*3度の無罪宣言の理由

 3度の無罪宣言をルカ福音書はなぜ記述したのか?2つの理由に思い至りました。一つは、ルカ福音書記者の篤い信仰心が溢れ出ているからと言えるでしょう。イエス様に対して「十字架」という死刑になったけれども、御自分には決して罪は無く、頑なに神を拒む人間達の罪を肩代わりなさった御方であると証ししたいという信仰の表れだと感じられます。

もう一つの理由は、3度という数字から思い浮かぶものです。それは、この直前に起こった「ペトロのイエス様の3度の否認」と対比させて、ルカ福音書はイエス様の無罪を強調しようとしていたからということです。イエス様に愛され、教え導かれた一番弟子ペトロが、死への恐怖などからイエス様の仲間であることを否定するために、「イエス様を知らない」と言ってしまったのです。ユダヤ人の中でも一番イエス様に恩義のあるペトロさえ、サタンの試みを受け、イエス様を否定したわけです。一方、ピラトはローマ皇帝という人間を神と崇めることに抵抗のない異邦人でありながら、イエス様の無罪を宣言する役割を果たしています。更に深読みするならば、ルカ福音書は、この後、ユダヤ人よりも異邦人の方に、イエス様の福音が広まっていくのを暗示しようとしたのかもしれません。それにしても、神様を知っているはずのユダヤ人はイエス様を否定し、本当の神様の存在を知らない異邦人が「神からのメシアであるイエス様は罪が無い」という真実を宣言する役割を果たした、これは、実に不思議な現象です。

*神の御前の真理を悟りながら、従い得ない人間の罪から来る悲劇

さて、もう一つ、不思議な現象が起こります。それは、権力者ピラトが3度も無罪宣言したイエス様が結局は有罪判決を受けて十字架刑に処せられ、暴動と殺人という大罪を犯したバラバという罪人が釈放される結果になったことです。本当にありえないことです。(まさしく、サタンが働いたとしか言いようがないでしょう。)このねじれ現象の直接の原因は、ピラトがユダヤ人達の「イエスを十字架につけろ」という要求に圧倒されたからです。支配国の権力者が被支配民の要求に屈する理由は、お役人ゆえの事なかれ主義(領地でもめ事を起こさないこと)か、ユダヤ人に握られていた弱みか、推測の域を出ません。とにかく、イエス様を無罪と宣言したピラトは皇帝や領民からの評価を得たいという欲望に負けました。イエス様を十字架へ扇動したユダヤ人指導者達もピラトも、神様の御前における真理追求を第一とせず、人間(多勢の民衆や皇帝等の権力者)の要求を第一としてしまいました。実は、私達もその罪に陥る危険があります。本当の神様、主から啓示される真理を第一とできるよう、聖霊の助けを祈りましょう。

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