12月29日の説教要旨

エレミヤ書29:11-14a・ルカ福音書18:18-23

わたしのもとに来なさい」 

加藤秀久神学生(東京神学大学)

*はじめに

 イエス様は、「私のもとに来なさい、そして私に従いなさい。」と、呼びかけておられます。イエス様の呼びかけに応えること、イエス様に従うことは難しいことでしょうか? いいえ、イエス様に従うことは難しいことではありません。なぜならイエス様は、ただ幼子のように、私を信じ、従いなさい、と言っておられるからです。

*「善い先生、何をすれば・・」

本日の聖書は、この地上に富と財産を多く持つ大変な金持の議員が、イエス様に、「善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と尋ねた場面から始まります。どうしてこの議員はイエス様に、「善い先生(優れた先生、価値のある先生)」と言ったのでしょうか。

私達が「善い、優れた、価値のある」との言葉を使う時、私達に出来ないことが、その人には出来る、という意味で使っているかもしれませんが、当時のユダヤ教指導者達の間では、この「善い」は、ほとんど使われていなかったそうです。なぜならこの「善い(優れた、価値のある)」は、神様だけが持っている「特別な性格」を表すと考えられていたからです。

*「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。」

これがイエス様の最初のお答です。イエス様はこの議員に「永遠の命を受け継ぐ」ことの質問よりも前に、「善い先生」と呼びかけてきた「善い」は、何を意味しているのかをよく考えるように悟らせようとしました。

はたしてこの議員は、イエス様がまことに神の子であることを信じて善いという言葉を使ったのか? イエス様は、まず始めに「あなたは私が神の子であることを信じているのか?」と投げかけたのだと考えられます。

*永遠の命を受け継ぐ  

この議員は、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるかと尋ねています。この「受け継ぐ・相続する」という言葉は珍しい言葉で、同じルカ福音書にもう一箇所出てきます。「ある律法の専門家が、イエスを試そうとして『先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。』」(10:25)の場面です。「永遠の命を受け継ぐ」との質問は、律法の専門家の間でも難しい質問でした。今日の聖書の直前には、「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」(14節)「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(17節)と、語られたイエス様に対して、この議員も、どこか試すような気持を持ちながら質問したのかもしれません。

*「永遠の命を受け継ぐ」ためのイエス様の答え

イエス様は、先ず十戒の教え「『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ」と言われました。つまりイエス様は、「神様の恵み」を受け取るための道は既に示されており、「あなたが知っている教えられている道を歩みなさい」と、この議員に告げたのでした。

*十戒の第5戒~第9戒

イエス様は、なぜこの十戒後半を示したのか。それは、議員の返答、「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」にあると思います。この議員は、子供の頃から人一倍これらの戒めを大切にして、きちんと守ってきたという自信があり、世間からも良い評判の人であったことを、イエス様はご存じだったのでしょう。

イエス様はこの議員の返答を聞いて、「あなたに欠けているものがまだ一つある」と言われました。この議員の欠けていることは、持ち物を売り払って貧しい人々に施すことだ、と言われたのです。

*イエス様の言葉の意味

イエス様はこの議員に、もっと「善い行い」をすれば、永遠の命を受け継ぐことができる」と言われたのでしょうか。そうではありません。イエス様は、「永遠の命を受け継ぐためには、根本的な考え方、あなたの考えにはない、発想の転換が必要なのですよ。」と議員に告げられたのです。「永遠の命を受け継ぐ」、「神の国に入る」ということは、善い行いをすることでも、自分の富や名誉の為に得るものでもありません。 

「神の国に入る者」とは「子供のように神の国を受け入れる者」です。ただ恵みによって主イエス・キリストの呼びかけに応え、自分の十字架を背負い、神を愛し、人を愛し、皆に仕えて生きる者です。

*議員の悲しみ

イエス様の答えを聞いたこの議員は、非常に悲しみました。なぜならこの議員は沢山のお金を持っていたからです。おそらく彼は、この地上に沢山の財産や富、また名誉や地位を築き上げることに多くの時間と努力を費やし、いつのまにか、それが自分の人生の一番大事なことになっていたのかもしれません。財産や富が悪いのではありません。一生懸命働いて、その富や財産を用いて、神を愛し、人を愛し、皆に仕える人々は大勢います。そのように用いられることは、神様からの祝福です。

 しかしこの議員は「永遠の命」の意味を理解せずに、自分の富や名誉をさらに豊かにするために「永遠の命」を自分の力で手に入れようと思っていたのではないでしょうか。もちろんこの議員は「そのような言葉は受け入れられない」と怒って立ち去ったのではなく、イエス様の答えを聞いて、「非常に悲しんだ」とありますので、イエス様の教えを真剣に受け止めようとした、この人の誠実さが伺えます。しかし彼は、イエス様の言葉を

実践する勇気がありませんでした。全てを主に委ねることができませんでした。この議員は、イエス様の「私のもとに来なさい、そして私に従いなさい。」との呼びかけに、応えることができなかったのです。

*もしも・・

もしも、この議員が「永遠の命」が意味していることを十分に理解して

いたのなら、喜んでイエス様の教えに従ったに違いありません。もしこの議員が、イエス様こそ「善い先生」「まことの神」であると信じ、自分には出来ないと思ったならば、自分の弱さを悔い改めて、「天に富を積む道を教えて下さい」「イエス様に従わせて下さい」と、願ったのではないで

しょうか。

しかし、この議員は、イエス様の前から立ち去ってしまいました。この議員は、自分の力や、経験、行い、目に見えるものに心を向けてそれらを手放せませんでした。この議員は、天に目を向けてイエス様の言葉、神様の言葉を信じることができませんでした。

「永遠の命」こそが自分に必要なものであること、そして「イエス様こそが永遠の命を与えて下さるまことの神様」であることを信じることができませんでした。

*イエス様の呼びかけに応える

24節以降には、この悲しむ議員を見たイエス様の言葉が記されています。そして、神の国のために生きる時にこそ、本当の祝福が与えられることを教えて下さっています。

イエス様の呼びかけに応えることは難しいことではありません。

イエス様は、ただ「私のもとに来なさい、そして私に従いなさい。」と呼びかけておられるのです。幼子が自分の名前を呼ばれたら、全てを放り投げて、その声がする方へ急いで走っていくように、私達も、ただイエス様のもとに走っていけば良いだけなのです。

*私達は・・

私達はこの一年を振り返った時に、私達の心は天を見上げて歩むことが出来たでしょうか。地上のものに心を奪われず、天に富を積み、天に宝を蓄えて、神の国の為に生きた、と言えるでしょうか。

イエス様は、私達一人一人に「私のもとに来なさい、そして私に従いなさい。」と呼びかけて下さっています。イエス様は、私たちが本当に必要なものを、全て備えてくださっています。私達は、主の声に耳を 傾け、主の呼びかけに応え、幼子のように、主に従うものでありたいと願います。新しく迎えようとしている一年もまた、主の十字架を見上げ、イエス様こそが、まことの神であることを思い、主の溢れるほどの愛を受けて、共に歩んでまいりましょう。共に励まし合い、祈り合いつつ、神の国の為に生きる者として、喜んで主に従ってまいりましょう。

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