2月7日の説教要旨 「奉仕する人々」 牧師  平賀真理子

エレミヤ書17:9-14 ルカ福音書8:1-3

 はじめに

 今日の新約聖書の1節には「イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた」とあります。似た内容が4章43節にあります。「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ」とのイエス様の御言葉です。救い主による「本当の救い」が必要な人がたくさんいて、その救いを父なる神様から託されている!という熱い思いによって、神の御子イエス様の宣教の旅は続けられたのでしょう。

 「神の国の福音」宣教の旅をとおして

宣教という使命は大事な使命の一つです。しかし、イエス様は「救い主」である御自分にしかできない使命を成し遂げなければならない時が迫っていることを切実に感じておられたのではないでしょうか。それは「人間の罪の贖いのために、十字架にかかる」という使命です。預言と同じ御業を行っておられたイエス様を「救い主」として受け入れるべきユダヤ教指導者達(ファリサイ派や律法学者達)が、御自分を排除しようとしていることを知って、イエス様はますます嘆かれたことでしょう。この権力者達は、自分の都合で、神様を持ち出したり、無視したりしています。これが人間の罪深い姿の一つです。私達にも当てはまる姿です。そんな人間達の大きな罪のために十字架にかからねばならないという使命が迫っている……。だから、神の国の福音を宣教するという役割を、招き、愛し、育んでこられた大事な弟子達に譲って行かねばならないと覚悟されていたのではないでしょうか。だから、12使徒として御自分で選ばれた重要な弟子達が宣教の旅を一緒にすることをお許しになったのでしょう。御自分と行動を共にすることで、「神の国の福音」を宣教することを御自分からすべて学んでほしいという主の切実な思いを感じます。

 「神の国の福音」

さて、その「神の国の福音」をもう一度、よく考えてみたいと思います。

「神の国」は「神様が王として支配している世界」と説明されています。「神様の愛」が行き届いた世界と言えます。「神様の愛」の特徴は、無償の愛、自己犠牲の愛、弱い者を愛する愛です。そして、その神様は何よりも私達人間一人一人を愛しておられます。神様から離れたがる、罪深い私たちが、「神の国」に入るためには救い主による罪の贖いが必要なのです。その罪の贖いのために救い主がこの世に来てくださり、私達人間と同じ姿になり、御自分の命を犠牲にする贖いとして「十字架にかかる使命」を引き受けてくださる、それこそが、人間にとっての「福音」=「喜ばしい知らせ」なのです。ですから、「神の国」は、イエス様がこの世に遣わされた時から始まっているのです!

 救われた感謝としての奉仕に生きる婦人達

12使徒達を「神の国の福音」の伝道者として教育するための重要な宣教の旅に、同行を許された婦人達がいたこと、しかも、名前が具体的に記されていることは驚きです。他の古代社会と同じように、当時のユダヤは男性中心の家父長制社会でした。しかし、イエス様とその周りでは、人間社会の性別の壁を悠に超えていることが示されています。3人とも、恐らく、イエス様によって、「悪霊を追い出して病気を癒していただいた」のだと思われます。特に、「マグダラの女と呼ばれたマリア」と「ヘロデの家令クザの妻ヨハナ」は、ルカ福音書24章の「十字架の後の復活」の場面で、イエス様の御言葉を思い出して、御言葉どおりのことが起こったと使徒達に伝えるという重要な働きに用いられたことが、名前を挙げて記録されています。

彼女達は、人間の力で治せない病気になって絶望していた故に、「神様の救い」を切実に求めるようになり、イエス様との出会いとその救いという恵みをいただくことができたのでしょう。人間的に考えれば、絶望する体験は本当に避けたいですが、神様を無視して生きたがる人間には、そのことをとおして、やっと真剣に神様を求めるように変わることが多いものです。この婦人達は、病気という絶望に真剣に向き合った、そこで、神様の救いを求めた、そして本当の救いに導かれたのです。だから、イエス様の救いが本物であることを切実に感じたのだと思います。絶望の淵にいたからこそ、イエス様からの救いの素晴らしさを本当に知ることができる、その体験をした人が、自分を救ってくださった神様への感謝の応えとして、自ら奉仕する人に変えられていきます。私達も、もう一度、主に出会って救われた時の喜びを思い出し、主の御旨のために奉仕したいものです。

1月31日の説教要旨 「あなたの道」 吉田 新 先生(東北学院大学)

テサロニケの信徒への手紙一3:11-13

 はじめに

 本日は「キリストとは私たちにとって誰か」「私たちに何をなさる方なのか」について、聖書から共に学びたいと思います。

 ドイツの街並みと石畳

私が長く住んでいたドイツは街並みをとても大切にします。昔からの街並みを保存することに力を注ぎます。このことで一つ驚いたのは、住んでいた町の道です。私が住んでいたのは歴史的な建物が立ち並ぶ地域でしたが、この地域の道はすべて石畳です。アスファルトの道もありましたが、原則は石畳。石畳はあまり頑丈ではありません。自動車やトラックなどの重い車両が通り続ければ、壊れてがたがたしてしまいます。ですから、石畳は新しく敷き直す必要があります。こぶしぐらいの石を一つ一つ組み合わせて、ずれがないように道に並べていきます。気の遠くなるような作業です。

 古代の道

アスファルトを流すだけの現代の道と違い、かつて、このようにして道をつくりました。聖書の世界も同じです。イエス様やパウロが生きた時代、ローマ帝国が地中海を支配していた時代、ローマ帝国は支配した各地に交通網を整備しました。ローマ帝国が敷いた道は、主に人々が行き来する交易路としての役割がありましたが、さらに重要なのは軍隊を迅速に移動させるための道です。

キリスト教の教えが地中海全般に広まることができたのは、この道のお陰だと言えます。キリスト教の伝道者の多くは、ローマ帝国内に整備された街道を歩いて、様々な地域を行き来しました。その中でも特に有名なのはパウロです。パウロの生涯の移動距離は1万6000キロメートルと言われています。東京からニューヨークまで約1万899キロメートルですから、パウロはそれ以上の距離を旅したことになります。パウロは陸路だけではなく、海路、つまり船を使って移動しています。しかし、船では行けない場所は徒歩です。パウロにとって伝道とは、道を歩くことに他なりません。パウロは伝道のために訪れた街に教会を建て、その教会の人々に向けて手紙を出します。本日、お読みした「テサロニケの信徒への手紙 一」も その一つです。

 道をまっすぐにする

この手紙の第3章では、パウロはテサロニケにもう一度、訪れたいという望みを託しています。しかし、それがかなわず、彼の協力者であるテモテを彼らのもとに遣わします。テモテが再び、パウロのもとに戻ったことを告げ、その最後に先ほどお読みした言葉を記します。11節「どうか、わたしたちの父である神御自身とわたしたちの主イエスとが、わたしたちにそちらへ行く道を開いてくださいますように」とあります。原文から私なりに訳し直します。「わたしたちの父なる神御自身、また、わたしたちの主イエスが、わたしたちの道をあなたがたのところへとまっすぐにしてくださいますように。」原文では「道を開く」では、「道をまっすぐにする」という意味です。新しく道を切り開くという意味ではなく、目的地へ辿りつけるように道を整えてくださるということです。

この一文、何気なく読み飛ばしてしまう箇所かもしれませんけれど、イエス・キリストがパウロにとってどのような存在であったのか、そして私たちにイエス・キリストは何をしてくださるのかを知るための大切な手掛かりを秘めていると思います。

道をまっすぐにするというのは、実は大変な作業です。石畳を敷き詰める前に、まず、地面を平らに整える必要があります。そして、でこぼこにならないように慎重に敷き詰めなくてはなりません。平地ではなく、山岳地帯や緩急が激しい場所の道をまっすぐにするとなるとなおさらでしょう。

 あなたの道

しかし、このような作業は私たちではなく、キリストが行ってくださるのです。私たちのために道をまっすぐにしてくださるのは、イエス・キリストです。何年もかけて、多くの道を歩いたパウロは、そのことを確信していたに違いありません。

わたしたちは自分の力で自分の道を歩かなければいけません。一生をかけて、自分の道を歩くのです。誰もその代わりができません。時に重い荷物を背負わなければならない時もある。疲れてその場に倒れ込むこともある。心がくじけることもある。もう、私は歩けないと嘆きたくなる時もある。でも、私たちの足で一歩一歩、歩いていかなくてはなりません。やさしい道だけではありません。困難な道もきっとあるでしょう。

しかし、一つのことだけ覚えていてほしい。

イエス・キリストが、あなたが歩いているその道を、あなたが歩きやすいように、まっすぐに整えてくださいます。だから、あなたは何も心配しなくていい。あなたは何も恐れることはありません。もう、泣かなくていいです。くじけないで、勇気をもって、歩き続けましょう。キリストは、あなたの道をまっすぐにしてくださいます。

1月24日の説教要旨 「罪の赦しと愛」 牧師 平賀真理子

イザヤ書1:18-20 ルカ福音書7:36-50

 はじめに

 今日の旧約聖書の箇所で、「私達の罪が緋のよう(真っ赤)であっても、雪のように白くなることができる。主に進んで従うなら実りを受ける」と証しされています。罪の赦しがおできになるのが、唯お一人、私達の主イエス・キリストです。今日の新約聖書の箇所では、そのイエス様に実際に出会った人々が取った態度から、どのように主を迎えたのか・または受け入れなかったかが、明確にされています。3つの態度に分かれているので、そこから考えてみたいと存じます。

 ファリサイ派シモンの態度

 1つ目は、イエス様を食事に招いたファリサイ派の人の態度です。40節から、この人はシモンという名前だとわかります。ファリサイ派シモンはイエス様に「一緒に食事をしてほしいと願った」(36節)とあります。当時のユダヤ教の社会では、聖書の話を語る巡回教師を自宅に招くのは、大変功績のあることと思われていたようです。また、大事なお客様が来られた時は、興味ある人は誰でも一緒に家に入る風習があったそうです。「重要なお客様と多くの人々をもてなすことのできる立派な人」との評価、シモンは、その評価を期待していたのかもしれません。ところが、シモンは自分の願いでイエス様を招いたのに、イエス様から思いやりの不足を指摘されました。旅人の足を洗うための水の用意、親愛の情を表す接吻、頭への香油塗り(尊敬を表す)、この3つです。シモンの心の中に、イエス様に対する尊敬・感謝・愛が足りなかったから、この3つの行為ができなかったのでしょう。ファリサイ派のシモンがイエス様との出会いを望んだのは、純粋な敬愛の情からではなく、単なるイエス様への関心と人々からの自分への評価のためだったと思われます。食事に招くという外面は尊敬を示しているようですが、内面では、自己中心の罪のためだったと、聖書の記述から推測できます。

 罪深い女の態度

2つ目は、「罪深い女」(37節)と書かれた女性の態度です。この女性は、具体的に言えば「娼婦」だというのが、多くの学者の共通の見方です。この女性は、ユダヤ教から見たら、姦淫の罪を犯している「罪人」です。特に、ファリサイ派の人々はこのような「罪人」を疎外しました。一緒にいると穢れが移ると考えたのです。しかし、イエス様は、これ以前に「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」(5:32)と宣言なさいました。当時の価値観とは真逆のこの御言葉は、驚きを持って広まったことでしょう。「罪深い女」と呼ばれた女性は、この御言葉により、「自分も神の国に入れる」という大きな慰めと励ましを受けたはずです。だから、勇気を振り絞って、自分を見下すファリサイ派の人の家に行って、敬愛と感謝を表したいと切に願って、香油の壺を持参したのでしょう。この女性は、ファリサイ派シモンには不足していた3つの行為を補うことになりました。足を洗うこと、接吻すること、香油を塗ることです。足を洗う水と拭き取る布の代わりに、この女性は救い主イエス様に出会って感極まって流した涙と髪の毛を使いました。接吻と香油塗りの2つは、各々顔と頭にするものですが、主の足元で行いました。この女性は主の御前で謙虚な思いから自分を低くしたのでしょう。敬愛するイエス様からの救いの恵みへの感謝により、このような態度が生まれたと思われます。

 イエス様のなさった例え話(41-42節)

イエス様はシモンに、ある金貸しから借金をしている二人が借金を帳消しにしてもらった例え話をなさいました。それは、借金の額の多い方の人が、少ない人よりも金貸しを愛することを教える例えです。借金とは「罪」のことです。正しい人と思われているファリサイ派のシモンでさえ、神様の御前においては、確かに罪ある人間であり、「罪深い女」と変わらないのです。「罪を赦された」という自覚をより多く持つ人間の方が、罪の自覚を少ししか持たない人間よりも、救いの感謝をより多く持ち、救い主をより多く敬愛すると教えておられます。

 同席の人たちの態度

3つ目は、同席の人たちの態度です。「『罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう。』と考え始めた(49節)」のです。イエス様や福音を始めて知らされた人たちの態度の予告とも見ることができます。そういう方々がイエス様の「罪の赦しの権威と信じる者との愛の交わり」を肯定的に考え始めるために、信仰者である私達は、主の証し人として歩めるよう、聖霊の助けを祈り求めましょう。