2021年6月13日の説教要旨 イザヤ書60:19-22・フィリピ2:12-18

「命の言葉」     加藤 秀久伝道師

*はじめに

 本日の旧約聖書の少し前に、『主は贖う者として、シオン(エルサレムのこと)に来られる。ヤコブのうちの罪を悔いる者のもとに来ると主は言われる』(59:20)とあります。ヤコブの子孫であるイスラエルの人々が、自分達の罪、神様に対しての背きの罪を認め、罪を悔い改めた時、主は彼らのもとに訪れると述べています。そしてイスラエルの人々が再び神様に立ち返るようになると、エルサレムの街は世界中の国々から注目されることになり、イスラエルの人々は、主の御名のために誉め称えられ、尊敬されるようになることが告げられています。そして彼らは、イスラエルの繁栄は、神様がとこしえに共にいて下さらなければ成り立たないことを知るようになる、と、預言者イザヤは神様の言葉を伝えています。

*主の栄光が輝くエルサレム 

本日のイザヤ書の箇所では、主の栄光がエルサレムに現れる時、イスラエルの近隣、又、他の国々の人達が、その主の照らす眩(まばゆ)い光の呼びかけに答え、その光を求めてエルサレムに集まって来るようになり、エルサレムは主を礼拝する人々の集まる場所、全世界の中心的な場所となる、と語られます。そして主の聖なる都市、新しいエルサレムには、主の栄光が輝き、その輝きの凄(すご)さで、もはや太陽や月の輝きまでもかき消してしまいます。それは、「主があなたのとこしえの光となり、あなたの神があなたの輝きとなられる」(19節)からです。

*「あなたがたも・・わたしと一緒に喜びなさい」(18節)

わたしたちは希望の持てない、失望感に満ちた所に足を踏み入れてはいないでしょうか。本日のフィリピ書には「共に主に在る喜び(18節)」が勧められています。著者パウロは、獄中に入れられながら、神様と良き交わりの時を持ち、絶えず感謝の気持を持つことができています。パウロが投獄された理由は(常に福音宣教のためですが)、使徒言行録16章では、伝道旅行中、占いの霊に取りつかれている女奴隷が後についてきて叫び続けたため、彼女から占いの霊を追い出したことで、彼女の主人逹がお金もうけの手段を失ない、訴えられたことが記されています。しかしパウロは獄中でも、神様を賛美して祈っていました。パウロは全ての出来事に感謝しています。なぜでしょうか。

それは、真実の主イエス・キリストを知っていたからだと思います。その時、突然大地震が起り、牢の扉が全て開き、パウロたちの繋がれていた鎖も外れてしまいました。看守は囚人達が逃げたと思い自害しようとしましたが、パウロ達は逃げず、看守に自害しないように伝え、神様の御言葉を語りました。この時、看守も看守の家族も皆、信じて洗礼を受けたのでした。ここに、神様の凄さ(すごさ)があります。神様の言葉には力があり、神様は人々に、命と生きる力を与えて下さるお方です。

*「自分の救いを達成するように努めなさい。」(12節)

獄中からパウロは、「自分の救いを達成するように努めなさい」と語っています。「神様は、信じている者達の心の中にすでに住んでおられる。共にいて下さるのだから、その神様の力を信じ、神様が働いて下さることを信じて歩みなさい。今ある状況を受け入れ、今ある願いが叶うと信じて祈りなさい。」と励ましているのです。パウロにとって、「捕われたこと」は、主イエス・キリストによってであり、「生きること」は、主イエス・キリストを通してであり、「イエス様のために死ぬ」ことは、とても名誉なことだと感じていました。

*「あなた方の内に働いて、御心のままに望ませ、行なわせておられるのは神であるからです。」(13節)

私逹一人一人には神様から与えられた苦難や試練があります。もうこれ以上我慢できない、と思っても、その苦難や試練は、さらにもっと深い奥底まで私達を引きずり込んでしまうことがあります。しかしそのような状況に私達が陥ることを許したのも神様です。なぜでしょうか。

それは、神様は私達を愛し、信頼しているからです。私逹一人一人には神様が立てられたご計画があるからです。そのことを私達は信じますか。

最後にもう一度、本日のフィリピ書をお読み致します。(2:12~18節)

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