2023年8月27日の説教要旨 出エジプト23:10-13・ローマ14:1-9

             「従う心」         加藤 秀久牧師

*はじめに

 本日の旧約聖書には、安息年と安息日についての守り方が記されています。安息日を一般の辞書には「何の煩いもなく、くつろいで休むこと」とありますが、創世記2章には、神様が天地創造された時,6日間の仕事を終えて「第7の日に、神はご自分の仕事を離れ、安息なさった」(2節)とあり、「その日を神は祝福して、聖別された」(3節)と記されています。

 現代を生きる私達にとって安息日は日曜日ではなかったり、まとまった休みを取るため、長期間仕事から離れられなかったり、或いは、仕事やその他の事情でお盆とお正月位しか休めないという方がおられるかもしれません。一方で、休日を「休む日」ではなく「その日にしかできない時間」として、自分自身を忙しくしてしまう日になってはいないでしょうか。

*安息年

神様がイスラエルの人々に与えた約束の地では、人々は6年間は自分の土地に種を蒔き、その実りを収穫しましたが、7年目にはその土地を休ませなければなりませんでした。本日の出エジプト記には「7年目には、それを休ませて、休閑地としなければならない」とあり(23:11)、休閑地では乏しい者が食べ、残りを野の獣に食べさせるが良いとあります。

(レビ記25章では、安息年には「全き安息を土地に与え」ねばならず、それは「主の為の安息」であり、7年目に生じた物は、所有者、男女の奴隷、雇い人や滞在者、そして家畜や野生の動物のためと記されています)。

イスラエルの人達の基本的な考え方は、土地や人や労働者達は神様の所有であり、全ての人が同じ立場にたち、社会的に弱い立場にある者を、そうでない者達が助け合い、支え合う神の家族として、イスラエル共同体を造り上げていくことにあったのではないでしょうか。

*安息日

 12節には、人々は六日の間働き七日目には、仕事をやめねばならないと安息日の過ごし方が書いてあります。それは、彼らの牛やろばが休み、女奴隷の子供や寄留者が元気を回復するためとあります。そして13節で、これらの戒めをすべて守るように(従うように)命じ、異教の神の名を口にすることを禁じています。

*わたしたち

私達は、神様が定めた安息日(仕事を離れた休みの日)をどのように過ごしているでしょうか。この日は主なる神様との日です。私達は霊の内に、神様と向き合う日、心を落ち着かせ、神様とゆっくりした時間を十分に持つ日とすることです。この安息は、日曜日(神様を礼拝する日)だけに限定せず、神様と向き合い心を落ち着かせ、神様とゆっくりした時間(安息)を持つことが出来れば幸いです。

信仰の弱い人を受け入れなさい。批判してはなりません。」(1節)

 本日のロマ書で、著者パウロは「信仰の弱い者を受け入れる」ように勧め、彼らを批判することを禁じています。イエス様を信じる者達は、イエス様によって救われ、恵みによって自由にされた者達です。「信仰の弱い人」とは信じる力が弱い人ではなく、ユダヤ教的な教えや慣習の下で育ってきたため、「野菜だけを食べ、肉を食べず、酒を飲まない」、又、「特定の日を重んずる」など、律法主義的な考えが根強く、それらから自由に解放されないままの信仰生活者を指しています。(日本でも古い伝統や慣習が多く残っています)。そこで著者パウロは6章14節で「罪はもはやあなた方を支配する事はない。あなたがたは律法の下ではなく、恵みの下にいるのです」と教えています。「信仰の強い人」とは、信仰による真理の自由というものを知っており、信仰の良心に従うことの出来る人で信仰生活において何が根本的に重要か、そうでないかの確信を持っている人でしょう。注意すべきは「食べる人は、食べない人を軽蔑してはならず、食べない人は食べる人を裁いてはなりません。(3節)」なぜなら、両者とも、ご主人(神様)の召使いの立場にあるからです。両者とも神様に感謝しており、両者とも神様の裁きの座の前に立つからです。今日、神様が与えて下さった安息の日、律法の下ではなく恵みの下に置かれている者として、今週も御言葉に従って歩んでいきましょう。