12月18日の説教要旨 「インマヌエル預言の実現」 牧師 平賀真理子

イザヤ書71014 マタイ福音書11825

 はじめに

「インマヌエル預言」とは、今日の旧約聖書箇所イザヤ書7章14節です。「それゆえ、わたしの主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。/見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。」

 預言

預言とは、神様から与えられた御言葉を、神様から選ばれた預言者が、王様や民衆に告げるように命じられて語られたものです。旧約聖書を奉じるユダヤ人達には、預言者達が折々に現れました。特に、ユダヤの王様や民衆が「主」と呼ばれる神様を信じない時に、「主」を信じる信仰に立ち返るよう、警告を発する内容が多くあります。インマヌエル預言も、まさにそのような時に預言者に与えられたものです。

 ユダの国王アハズの不信仰

イエス様がお生まれになる前、約700年前に実際に起こったことです。ユダヤ人の国ユダの王だったアハズは、先祖を導いた「主」を大事にせず、他の神々を信じる行動を取りました。自分の国が他の2国から攻められた時にも、「主」への信仰に立ち返ることなく、周辺で一番強いアッシリアの王を頼りにしました。そこへ、預言者イザヤが預言を携え、神様から派遣されました。そして、2つの国がユダ国に迫って来ても「恐れることはない。この2国は近い将来、必ず滅びる」と預言し、ユダの国とアハズ王の揺らぎを静めようと神様が働きかけてくださいました。「主」と呼ばれる神様は、イザヤを通し、本当の神様が働きかけてくださっていることを証明するため、「しるし」を求めることさえ、お許しになりました。

 アハズ王の罪深さ

これに対し、アハズ王は「主を試すようなことはしない。」と言いました。「主を試してはならない」とは、申命記6章16節にある掟で、アハズの答えは、一見、信仰的です。しかし、違います。列王記下16章に詳細にありますが、アハズ王は「主」への信仰に戻らず、この世の尺度で力強く見える人間、即ち、アッシリアの王を頼りにする決心を翻しませんでした。「主」を信じていないのに、信仰深いふりをする、そのような罪深い人間に対して、主は「もどかしい思いをされている」と預言者は語ります。(我が身はどうでしょうか。)

 人間の不信仰にも関わらず、この世に働きかけてくださる神様

そのような不信仰極まりない人間の言葉や態度に左右されることなく、主が直接この世に働きかけてくださると預言で告げられました。アハズ王のように、主を捨て、心の底では背いているのに、言葉では信仰深いように装おうとする罪深い人間が求めないのにも関わらず、憐れみ深い神様は、この世に働きかける「しるし」を送ると宣言されました。それが、インマヌエル預言です。

 インマヌエル預言の実現=「イエス」様

インマヌエル預言は、ユダヤ人達の歴史の中で、「主」が「救い主」を人間の男の子として自分達に送ってくださるという信仰へと発展していき、約700年後に、本当に、それが実現したのです!しかし、その男の子の名前は「イエス」と名付けるよう、天使がこの世の父親ヨセフに告げています。「イエス」とは、ヘブライ語の「ヨシュア」のギリシア語風呼び名で、「ヨシュア」とは「ヤハウェ(旧約聖書の神様の名前)は救い」という意味です。だから、今日の新約聖書箇所の21節にあるとおり、「自分の民を罪から救うから、『イエス』」と説明されているのです。

 私達に「インマヌエル(神は我らと共におられる)」をもたらすイエス様

「主」は私達人間を愛し、共に居たいと願われるゆえに、御子イエス様をこの世に送ってくださり、神様と人間を隔てる罪を贖うための十字架の犠牲とされました。そのイエス様を主と信じるだけで、私達は主の恵みによって「神様が共に居てくださる」、そのような人間に変えられるのです。だから十字架にかかり、贖い主となられ、神様から栄誉の復活を賜ったイエス様は、この世での名前のとおりに「ヤハウェは救い」であることを証し、かつ、「インマヌエル」=「神は我々と共におられる」という、隠された、別の名前(預言の名)の意味も全うされています。

 聖霊により御降誕されたイエス様と預言の実現を受け入れたヨセフの信仰

神の御子イエス様の御降誕は、聖霊の働きによるものだと、今日の新約聖書箇所2か所(18節と20節)にあります。ただ、メシアを待望するとはいえ、インマヌエル預言が我が身に起こったら、多くの人は受け入れ難いでしょう。でも、ヨセフは天からの御言葉を信じ、従順でした。ヨセフのように、天から来る神様の御働きを、この世の人間として受け入れ、従えるよう、聖霊の助けを祈りましょう。

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