2019年6月2日の説教要旨

詩編62:8-9・フィリピ3:10-4:1

        「私達の目指すゴール」   佐藤 義子

*はじめに

フィリピ書は、パウロがローマの監獄に囚われていた時に書かれた獄中書簡と言われる手紙の一つです。イエス様が神の御子であり、私達を罪の支配から救い出すために十字架の死を引き受けられ、その後、神によって三日目に復活され、「聖霊降臨と再臨」の約束を弟子達に与えて昇天されました。今も私達に聖霊を送り続けて下さっています。この「福音」を、正しく宣べ伝えていくためには、いつの時代でも困難が伴ないます。が、パウロは私達の想像をはるかに越えた大きないくつもの困難の中で、伝道旅行を続け、教会をたて上げていきました。そしてそれらの教会の信徒達を心から愛し、育て、旅行先から、又、監獄からも手紙を書き、信仰を与えられたすべての人達が、信仰に堅く立って生きるように励ましました。

 フィリピ書は、フィリピの教会の信徒達に送られた手紙ですが、時代と場所を越えて全てのクリスチャン達に、そして私達にも届けられた手紙として、送り主であるパウロの熱い思いを感じながら読みたいと思います。

*クリスチャンの目指すもの 

私達は、信仰が与えられ洗礼を受けてクリスチャンになった時、それはとても大きな大きな恵みの出来事であるゆえに、そこで何かを達成したような(もう、これで安心!)「誘惑」に襲われることがあります。けれども、今日の聖書では、クリスチャンには達すべき目標・ゴールがあり、すでに伝道者として歩んでいたパウロさえ、まだ達していないと告白しています。「わたしは何とかして、そのゴールに達したい。神様がお与えになる賞を得るために、そのゴールを目指してひたすら走る」と言っています。そのゴールとは、「死者の中からの復活」(11節)です。

*「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私達は待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、ご自分の栄光ある体と同じ形に変えて下さるのです。」(20節-21節)

すべてのことには初めがあり終りがあるように、この地上での私達の世界は「終末と再臨」が来ることをイエス様は語り、約束されました。その時には、信じる者は、天に属する霊の身体(復活体)が与えられることをパウロは、「Ⅰコリント書15:35-」でも丁寧に記しています。

*「キリストとその復活の力とを知り」(10節)

神様の力がどれ程のものかは私達の想像を越えています。この世界を、昼と夜に分け、大空と海と地に分け、地上には植物を、天には太陽と月と星を、海には魚を、空には鳥を、地には動物を、そしてこれらすべてを管理する者として人間を創られました。この神様の測り知ることの出来ない創造の力は、イエス様を死から命へと復活させた力にも現れました。「キリストとその復活の力とを知り」とあるように、クリスチャンは、この神様の絶大な力を知ることがゆるされています。ところで、私達は神様を過小評価していないでしょうか。天使ガブリエルはマリアに、「神に出来ないことは何一つない」と宣言されました。私達は、主イエス・キリストについてさらに深く知ると同時に、神様がイエス様を復活させた、その「復活の力」を知らされつつ、ゴールに向かって走り続けていますが、その道程において、イエス様の苦しみにも与(あずか)ります。

*「キリストの苦しみに与り

信仰を与えられると、愛する家族や親族、友人達に救いの喜びや神様の恵み、平安の中で過ごす素晴らしさを知って欲しいと願うようになります。しかし、イエス様のご受難に比べれば、はるかに小さいとは言え、私達の伝道も又、多くの困難や試練の中に置かれます。時に孤立し、無理解、誤解、偏見もあります。神様を知るがゆえの社会の不正や罪との戦いもあります。私達は、クリスチャンとして生きる大きな恵みの中で、イエス様の苦しみにも与る(つながる・連帯する)のです。「イエスの名の為に辱めを受けるほどの者にされたことを喜び」(使徒言行録5:41)ます。

*「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、ひたすら走る

「私がキリストに倣う者であるように、あなた方もこの私に倣う者となりなさい」(Ⅰコリント11:1)。この呼びかけに応えたいと願います。

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