「御言葉の力」 加藤秀久伝道師
*はじめに
皆さんにとってイエス様の言葉、聖書の言葉とは、どのようなものですか。私にとっては、時に厳しいと感じることもありますが、やはり優しく、温かいものであり、励まし、慰め、安らぎを与えて下さる言葉です。
詩編107編では、私達の愚かさ(無知、背き、罪)は、時に肉体にまで及び、病を起こすと警告しています。しかし主の癒しの言葉が人々の萎えた心、病人の病を癒します。主の言葉は癒しをもたらすと約束されているのです。そして私達がこの驚くべき御業を喜び、主の慈しみと憐みに感謝して主を称えようと呼びかけます。私達が信じる御言葉には力があります。なぜなら、御言葉には癒しをもたらす力があるからです。
*百人隊長の願い
本日の聖書は、カファルナウムの町で、一人の百人隊長がイエス様に助けを求めに来た時のことです。百人隊長は100人の兵士を統率するローマの将校で、彼は異邦人でした。ルカ福音書7章では、彼がユダヤ教の求道者であり、地域の人達のために会堂を建てるなど人格的に信頼されていたことが伝えられています。百人隊長はイエス様に近づいて「主よ、私の僕が中風で寝込んで、ひどく苦しんでいます。」と癒しを求めました。
「中風」は、身体的な機能を麻痺させる脳の疾患で、動きが制限されて、人の手を借りなければならず、生きる意欲を無くしてしまうほどの病です。「ひどく苦しんでいる」とは身体上だけでなく精神的な苦しみも含まれていると考えられます。隊長は動けなくなった僕の為に、癒やされる道を探していたのでしょう。そしてイエス様の噂を聞き、自ら町へ出向き自分が異邦人であることを承知の上で、イエス様のもとを訪れたのだと思います。
*イエス様の応答と百人隊長
イエス様は百人隊長の願いに「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われました。すぐに百人隊長の家に行き、僕の病気を治そうとされたのです。ところが百人隊長は、イエス様と一緒に家に帰ることを拒みました。
なぜでしょうか。百人隊長は何を考えていたのでしょうか。
彼はユダヤ人が異邦人を「汚れた者」と考えていることを知っていました。そのため、イエス様を自宅の中にまで入っていただくことなど、とんでもないことだと思ったのでした。
*百人隊長の信仰
百人隊長は、権威ある者の言葉には人を従わせる力があることを承知していました。百人隊長自身も権威の下、命令には絶対服従であったのでしょう。そこで百人隊長は「ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。」とイエス様に答えました。
イエス様も権威のあるお方ですから「治れ」といえば、どんな病気でも治る。イエス様のお言葉さえあれば、すべてのものはそれに従う…ということをよく理解していました。「ひと言おっしゃってください」は、イエス様に対する絶対的な信仰によるものでした。
*「あなたが信じたとおりになるように。」
この言葉を聞いてイエス様は「ユダヤ人の中でさえ、これほどの信仰を見たことがない」と感心されました。百人隊長の信仰は感嘆と賞賛に値するものでした。イエス様は百人長に「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」と言われ、その時、僕の病気は癒されました。
今日の詩編、20節に「主は御言葉を遣わして彼らを癒し 破滅から彼らを救い出された。」とあり、33編9節には「主が仰せになると、そのようになり、主が命じられると、そのように立つ」とあります。
イエス様が、確かに父なる神様からの力を持って地上で活動され、 神様の約束を実現されることに気付かされます。そして11節に「いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く」とある「大勢の人」とは、おそらく百人隊長のようなイエス様を信じる信仰を持つ異邦人のことを指していると考えます。死に勝利したイエス様は、人の病をも癒す力を持ったお方です。そしてイエス様の癒やしは御言葉によってなされます。私達がこの御言葉を信じるとき、その御言葉は、確かに力をもって働いて下さるのです。