8月21日の説教要旨 七十二人の派遣 牧師 平賀真理子

創世記192326 ルカ10112

 はじめに

イエス様は、宣教活動の拠点のガリラヤ地方から、十字架にかかる場所であるエルサレムに向かう途上にあり、御自分が行こうとされた町へ、先に弟子達を派遣しました。それは、彼らを受け入れる姿勢を示した町に、御自分も行き、「神の国の福音」を より多くの人々に告げ知らせようとされたのだと思われます。この世での残りの時間が僅かなイエス様にとって、一人でも多くの人に「神の国の福音」を知らせたいという思いが切実だったと受け取れるのではないでしょうか。

 72人もしくは70人の意味

この時派遣された弟子達の数は、ある写本では72人、別な写本では70人と書かれ、どちらが正確かはわかりません。ただ、70には3つの意味が読み取れます。一つ目は、「出エジプト」のリーダーのモーセの補佐としての「長老」の数が70でした(民数記11:16、24-25)。二つ目は、この当時のユダヤ人の最高自治組織である「最高法院」の議員数が70でした。この2つから見て、イエス様が派遣した弟子達の数が約70であることは、彼らが新しい「神の民」としてイエス様の正当な補佐役であることを暗示しています。三つ目のことから意味が広がります。ユダヤ人達は世界の民族(異邦人)の数が70と考えました。70という数は「神の国」がユダヤ人から異邦人へ広がると示しています。弟子達の数が約70というのが重要と見たルカによる福音書だけが「72人の派遣」を記しています。

 「収穫は多いが、働き手は少ない」(2節)

イエス様が、それまでに町々を回られ、「救いを求めている人が多い、神の国の民となるべき人(収穫)は多い」と確信されていたことでしょう。それに比べ、派遣できる弟子達、つまり教え導く人(働き手)が少ないと思われたことがわかります。派遣される弟子達も、派遣先でそのことを切実に感じるとわかっておられたでしょう。イエス様は弟子達を派遣する前から、更に働き手が与えられることを祈るように教えられました。

 この世の価値観の人々の中で、「神の国の基準」で生きる弟子達

イエス様の弟子、つまり、福音を告げ知らせる者として、この世に送り出されることは、厳しい道であることは明らかでした。「苦難の僕」であるイエス様の弟子だからです。神の国の基準を守るように求められる弟子達は羊のように、狼のような この世の貪欲な人々から迫害される姿が、イエス様には見えたのでしょう。それでも、イエス様は、弟子達を神の国の基準に従って生きるように教えておられます。具体的には2つのことを語られました。一つは、「この世の基準や物」に頼ってはならないということです。旅路に必要な物(財布・袋=食糧・履物)の予備を持って行かず、「神様の御業に携わる者は、必要な時に必要な物を与えられる」という信仰を求めておられます。二つ目は、一つ目に関連していますが、弟子達は、この世の人が切実に求めている「より良い生活(衣食住)への欲求」さえ、持ってはならないということです。神の国の福音を伝える者は、「ただ、『神の国』を求めなさい」(ルカ12:31)というのが、当然の基準です。

 「神の国は近づいた」(9節・11節)

今日の箇所の中では「神の国は近づいた」という御言葉が2回も出てきていることが注目に値します。イエス様は派遣する弟子達を受け入れる町には、神の国の福音を語り、神の御業である癒しの業を行い、「神の国は近づいた」と言うように指示しておられます。一方、弟子達を受け入れない町には、足に着いた埃さえ払うことで弟子達とその町が全く関係ないとしてよいこと、また、たとえ、その町が拒絶したとしても、「神の国は近づいた」ことを拒否した人々も知るようになると宣言するように弟子達に命じておられます。この世の人々が受け入れようが、拒否しようが、イエス様のこの世への御降臨と神の国の福音の宣教によって、「神の国」はこの世に確かに始まっていて、広がっていくことは、イエス様の教えでもあるし、その後の歴史が証明することでもあります。

 罰の預言?⇒派遣される弟子達への励まし

 弟子達を拒否する町には、天からの火で滅ぼされた「ソドム」(創世記19:23-26)より重い罰を受けるという一見恐ろしい御言葉があります。しかし、これは拒否されることを心配する弟子達を励ましたいという、主の憐れみから出ている御言葉と思われます。実は、私達も72人の弟子達と同じで、周りに「福音」を告げ知らせるように、主から各々の持ち場に派遣されています。主が「神の国は近づいた」と強調された御言葉を語り伝え、主の弟子として働けるよう、祈りましょう。

3月27日の説教要旨 「復活の主との出会い」 牧師 平賀真理子

創世記2:1-7・ヨハネ福音書20:19-23

 はじめに

「主の復活」を祝う「イースター」を迎えました。キリスト教の3大祭りの一つです。3大祭りとは、クリスマス・イースター・ペンテコステ(聖霊降臨)です。日本ではクリスマスが一番有名ですが、キリスト教は歴史的に見ても、「主の復活」を祝う「イースター」から始まっています。

 「主の十字架と復活」

イエス様は、父なる神様からこの世に送られて、「神の国の福音」を宣教することを大事に歩まれましたが、最後には、「救い主」として、父なる神様と人間とを隔てている「人間の罪」を贖(あがな)う使命がありました。それが「主が十字架にかかる」意味でした。十字架にかかるのは、激痛・屈辱・孤独に満ちたもので、イエス様でさえ、容易には受け入れることはできず、ゲツセマネにおける祈りで、悩み、苦しまれたことが他の福音書に記されています(マタイ26:36-46、マルコ14:32-42、ルカ22:39-46)。しかし、救い主として十字架にかかることが、父なる神様の御心だと知り、イエス様は最後には決然と受け入れられました。そして、イエス様が「救い主」として「十字架」にかかられたことによって、父なる神様はイエス様に「復活」=「死に打ち勝つ」という栄光をお与えになったのです。

 弟子たちでさえ最初は信じられなかった「主の復活」

マグダラのマリアが、まず、「復活の主」に出会い、そのことを弟子たちに伝えましたが、彼らはその証言を恐らく信じられず、「ユダヤ人を恐れて」(19節)戸に鍵をかけて集まっていました。弟子たちは自分たちがやがて命がけで伝えていくことになる「主の復活の証言」を、彼ら自身さえ、最初は信じられなかったことがここで示されています。

 「復活の主」から弟子たちに会いに来てくださった!

主が復活された「最初の日」(日曜日)の夕方、この世の人間を恐れた弟子たちの前に、イエス様の方から先に恵みをくださいました。預言なさっていたように、本当に復活なさり、「復活の主」として御自分から弟子たちに会いに来てくださったのです。「鍵をかけた戸は通り抜けられない」という物理的法則を越えて、イエス様が彼らの真ん中に現れました。イエス様が既にこの世の法則を越えた存在だと示されています。「復活の主」は神様と同じ存在であり、「復活の体」をお持ちです。しかも、この世の経験を全く消した「傷の無い体」ではなく、十字架の時に付けられた傷がありました!それで、弟子たちも、突然現れた方がイエス様だとわかったのです。

 「あなたがたに平和があるように。」

信仰の弱い弟子たちを裁くことなく、「復活の主」が、まず、「あなたがたに平和があるように。」という弟子たちに必要な御言葉をかけられました。主は愛する者たちに、必要な時に必要な御言葉を与えてくださることがわかります。「平和」とは、単に戦争の無い状態をいうのではなく、神様の下にあって、何の欠けもない、満ち足りた状態のことを意味する言葉です。恐れに捕らわれた弟子たちは、この御言葉によって、かつて、イエス様と共に歩んだ宣教の旅での満ち足りた状態「主の平和」を思い起こしたことでしょう。

 弟子たちに息を吹き入れ、「聖霊」を送られたイエス様

「聖霊」とは「神の霊」とも言われ、「霊」という言葉は「息」とも訳されます。創世記2章7節に、神様が最初に人間をお造りになった時のことが記されています。

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」本来の人間は、「神様からの命の息」を吹き入れられる必要があるのです。「復活の主」イエス様は弟子たちに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」(22節)と言われ、その群れに新しい権能を授けてくださいました。

 「罪の赦し」

「罪の赦し」という権能を、「復活の主」は弟子たち全体に譲られました。「人の罪を赦す」など私達人間にはできません。信仰者の群れ全体=「キリストの体」である「教会」に、イエス様がお持ちの「罪の赦し」の権能を譲られたのです!だから、教会は、「罪の赦し」としての「洗礼式」を執り行うことが赦されています。主は、私達の教会に、洗礼志願者を与えてくださり、今日、このイースターの日に、洗礼式を行う恵みを与えてくださいました。私達の教会が「キリストの体」として正しく歩み続けられるよう、「復活の主」に祈り求めつつ、福音伝道にますます励みたいものです。