2022年9月25日の説教要旨 申命記15:1-11・Ⅱコリント書9:6-15

「従順による解放」    加藤 秀久伝道師

*はじめに

 本日の旧約聖書15章の小見出しには「負債の免除」とあり、1節の「七年目ごとに負債を免除しなさい。」と言う言葉から始められています。

この負債の免除というゆるしの起源は、出エジプト記23章(安息年)と、レビ記25章(安息の年とヨベルの年)にあります。七年目ごとに農地を休ませ休閑地とすることで、土地が神様の所有であることを覚えたことにあり、特にレビ記25章では、6年間に農地をめぐって生じた負債を7年目に、その年の「仮庵の祭り」の時に免除したことが記されています。又、七を7倍にした翌年の50年目は「聖なるヨベルの年(25:12)」として、国中に角笛を吹き鳴らして、全住民に解放の宣言がなされ、人々は先祖伝来の所有地と家族のもとに帰り、債務奴隷も解放されました。

*負債免除の目的

申命記に記される負債免除の目的は、「あなたの神、主は、・・あなたに与える土地において必ずあなたを祝福されるから、貧しい者はいなくなる(4節)」という言葉に続き、「あなたはあなたの神、主の御声に必ず聞き従い、今日あなたに命じるこの戒め(5章の十戒)をすべて忠実に守りなさい。」(5節)とあります。

イスラエルの民が十戒を守り、神様を第一にして歩むならば、「あなたの神、主はあなたを祝福されるから、多くの国民に貸すようになるが、借りることはないであろう。(6節)」さらに、「あなたの神、主が与えられる土地で、どこかの町に貧しい同胞が一人でもいるならば、その貧しい同胞に対して心をかたくなにせず、手を閉ざすことなく、 彼に手を大きく開いて、必要とするものを十分に貸し与えなさい」と(7-8節)とあります。

*今を生きる私達

 今、もし私達が「貧しい人に手を大きく開いて、必要とするものを十分に貸し与えなさい」と命じられたら、私達はどう応えるでしょうか。多くの場合、自分の生活で精一杯で余裕がないと答えるかもしれません。

ここで神様が私達に教えようとしていることは、神様がすべての人を造られたように、すべての人が同じ立場にあり、子供・大人・男性・女性も関係なく、年齢にも身体の状態にも関係なく、困っている人・助けを必要としている人達に対して、自分の家族に接するようにその人に寄り添うこと、相手の痛みを自分の痛みのように感じる気持が必要であることを伝えようとしているのではないでしょうか。人を思いやる気持が、神様に自由にされ、解放された者となり、神様を愛し、人を愛する者へと変えられていくのだと思います。

*献金

 本日のコリント書では、エルサレム教会の貧しい信徒たちを援助するための献金について語られています。この贈り物をささげることは他の教会の人達にも力や勇気を与え、神様に献げものをすることの大切さや喜びを知ることとなります。贈り物の献金を用意するにあたってパウロは次のように教えます。「惜しんでわずかしか種をまかない者は、借り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。

*献げることの祝福から生まれるもの

私達が神様との関係を持つことが深くなるにつれて、ささげものを通して神様に感謝する大きさを気持として表わすことができます。神様にささげられた献金や贈り物は、神様から必要な人へと祝福として届けられ、祝福を受けた人は、神様を讃美する(神様を称える)者となり、「喜び」の献げものという形で表わされていきます。これは不思議なもので、私達が献げもの(自分自身・時間・祈ること・讃美すること・ただ神様の前に静まること・・)を多く持てば持つほど、神様は色々な形を通して私達にも祝福や恵みが廻っていくように働かれます。そして「奉仕の業の結果として、彼ら(受ける側)は、あなた方がキリストの福音を従順に公言していること、自分達や他のすべての人々に惜しまず施しを分けてくれることで、神をほめたたえ、あなた方の為に祈る」のです。