2022年10月23日の説教要旨 ヨブ記38:1-18・使徒言行録14:8-17

「創造主の力」      加藤 秀久伝道師

*はじめに

ヨブは神様を敬う正しい人でした。その彼に不幸な出来事(財産を失い、息子、娘たちの死、さらにはひどい皮膚病による苦しみ)が起こり、自分が生まれたことを悲しむほどに悲惨な状況の中に置かれました。ヨブは神様の前に正しく生きてきたのになぜ神様からこのような苦しみを受けなければならないのかと訴えました。けれども、どんなに訴えても、神様からの応答はなく、そのたびに沈黙する神様の前で、ヨブの苦しみはいっそう深く激しさを増していきました。

*訴え続けたヨブへの応答

 自分自身への嘆きと、見舞いに来た友人達との議論の中でも苦しみは続き、どん底に落とされて、どうすることもできない状態の中で、それでもヨブは沈黙を続ける神様に「答えてください(31:35)」と訴え続けます。

本日のヨブ記38章の初めに、神様は長い間の沈黙を破り、突如として嵐の中からヨブに直接語りかけ、そして問いかけます。

嵐は、人々がコツコツと築いてきたものや経験・知識を一瞬にして吹き飛ばし、破壊してしまう結果をもたらします。人は大自然の力に襲われる時、初めて自分の力の弱さを自覚するかと思います。「嵐の中から」語られた神様の言葉によって、ヨブに今までにない大きな変化が訪れます。

長い苦しみを経て、ヨブの願いはついにかなえられ、神様が現れて下さったのです。たとえ神様がヨブにどんな厳しい言葉を語ろうとも、この神様の現れそのものがヨブにとってはこの上ない恵みへと変わります。

*神様の、ヨブへの語りかけ

神様は、「男らしく、腰に帯をせよ。わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。」「わたしが大地を据えたとき、お前はどこにいたのか。知っていたと言うなら 理解していることを言ってみよ。(3~4節)」と問い、又、命じられます。神様は、ヨブが自分の尺度で物事を考え、自分中心に見て自分に過ちが見当たらず、自分を過剰評価していることを指摘します。

神様は、ご自身が天と地を創造された「創造主」であることに目を向けさせます。ヨブが、神様というお方を知り、ヨブに心を改めさせ、へりくだる心を養い、神様との正しい関係を結ぶ信仰を持つためでした。

ヨブは、この神様との出会いによって、全知全能の神様の前に深く悔い改めることを表明します(42章)。

*創造主によるいやしの奇跡

本日の使徒言行録には、パウロとバルナバが宣教旅行中、リストラに来た時、生まれつき足が悪くまだ一度も歩いたことがない男が座っていたことが記されています(14:8)。彼はパウロの話を聞いていました。

パウロは彼を見つめ、いやされるのにふさわしい信仰があるのを認め、「自分の足でまっすぐに立ちなさい」と大声で言いますと、彼は躍り上がって歩きだしました。それを見ていた群衆は「神々が人間の姿をとって、お降りになった」と声を張り上げ、パウロとバルナバに神々の名を付けて、いけにえを献げようとしました。群衆に二人が語ったのは、今も生きて働かれている創造主なる神様の力と、そのわざについてでした。

*二人の宣教

あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です。

神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました。しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。

*わたしたち

私達が信じる主なる神様は、目にするすべてのもの(空・天体・自然・植物・動物や私達人間)を造り、世界を造られた神様です。わたしたちは神様によって管理され、生かされているのです。今週も、恵みによって生かされている喜びと、感謝の心を持って共に歩んでいきましょう。