2月14日の説教要旨 「『種を蒔く人』のたとえ」 牧師  平賀真理子

イザヤ書6:9-10 ルカ福音書8:4-15

 はじめに

 イエス様は、よく、例え話を用いて、人々に話をなさいました。特に、この「種を蒔く人」のたとえは、例え話自体と、イエス様ご自身からの説明が、聖書に共に書かれています。それで、後の時代の私達は、例え話の本当の意味をすぐに知ることができます。でも、イエス様の御許に来た群衆は、4節から8節の例え話と「聞く耳のある者は聞きなさい」という御言葉だけを聞いたことをあえて認識しておきたいところです。

 種の4種類の成長結果

イエス様は話を聞きに来た一般民衆のほとんどが従事していた農業の中から、興味を持ってもらえるよう、「種まき」の話をされたのでしょう。4~8節では「種」と「種を蒔く人」と「種が落ちた土地の状況」が語られる主な内容です。「種を蒔く人」の「種を蒔く」という同じ行為により、4種類の成長結果となったことが話されています。1つ目は、種が鳥に食べられて種自体がなくなり、芽さえ出なかったこと、2つ目は、芽は出たが、根が張れずに枯れてしまったこと、3つ目は、芽が出て茨と共に伸びたが、茨に覆われて成長できなかったこと、4つ目は、良い土地に育ったために百倍の実をつけるほど成長したことでした。これだけ聞くと、農業の技術的な話?とか、種まきをする注意点?という疑問がわいてきそうですが、次の11~15節にあるように、この例え話が神の国の福音宣教の結果を預言されたものであることが明らかにされていきます。

 土地の状況に起因する成長結果の違い(実を結べない3種類)

種の成長結果は、種の落ちた土地の状況によることがわかります。土地の状況とは、本当の意味では、神の言葉が降って来た人(心の状態)のことです。

1つ目の道端(畝と畝の間で人の通り道)に落ちて、人に踏みつけられ、鳥に食べられたとあるのは、「神の言葉を聞いても、ないがしろにし、挙句の果てには、悪魔に取られてしまう人」を例えています。

2つ目の石地のものとは、「神の言葉を育てるために耕すことを怠っている」心の状態にある人のことです。種の成長のために土という環境を整えることが大事なことです。それを怠ると、まだ成長過程の植物は、根も弱くて硬い石に打ち勝つことができないことを「試練に遭うと身を引いてしまう人たち」と表現しています。

3つ目の茨の中に落ちたものとは、心配事や富や生活の楽しみの方を、神の言葉を信じて生きることよりも優先して生きている人達のことです。ある程度、信仰を続けることはできるかもしれませんが、信仰者として本来結ぶべき、信仰の実をつけることができない人々です。信仰の実とは、別の言い方をすれば、「聖霊の結ぶ実」とも言えます。それは「喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」(ガラテヤ書5:22-23)です。

 良い土地に落ちた種の成長

4番目の良い土地に落ちたものとは、「立派な善い心で」と言われる人たちです。では、立派な善い心とはどういう心か、それは、すぐ次に書かれています。「御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人」です。まず、御言葉を聞き、それを心に留める、そしてそれに従って行動するということです。その時に必要とされるのが「忍耐」と書かれています。この「忍耐」の元々の言葉は、「重い荷を背負ってじっと留まる」という意味から生まれたものです。しかし、その忍耐の果てには、信仰者として実を結ぶ恵みが与えられています。実を結ぶとは、2つの意味があると思います。一つは、種が百倍にもなることであり、もう一つは、その種の成長にふさわしい状態の土があるということが外からもわかるということです。イエス様が御自分の使命として大事になさった神の国の福音がその人の心に育って実った結果、種と表現される信仰者がたくさん生まれることが示され、福音を告げる使命を担う者や、イエス様の証人として生きる者が豊かに生まれることが示されています。

 「神の国の秘密を悟ることができる」恵み

10節では、イエス様が、たとえを用いて話す理由を、イザヤ書6章9-10節を引いて語られました。「神の国の秘密」を理解することを許されていた弟子達と許されない群衆がいました。ここに「神の選び」が起こっています。神の国の民として招かれる人を選ぶのは、神様の主権の一つです。私達信仰者は神の国の秘密を悟ることができる弟子達に繋がっています。主の選びに心から感謝し、主の御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人になれるよう、聖霊の助けを祈り求めたいものです。

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