2021年1月17日の説教要旨 サムエル記上3:1-10・ガラテヤ書1:11-24

「キリストの弟子」    加藤 秀久伝道師

*はじめに 

神様は私達に呼びかけています。私達の心の中にある、心に宿っている霊に向けて、呼びかけています。それはサムエルのように寝ている時かもしれません、もしくは夜明け前かもしれません、それとも私達が静まり、神様に心を向けている時かもしれません。

*主の呼びかけ

サムエルは乳離れのあと、母ハンナから離れて祭司エリに仕えるようになりました。サムエルが少年に成長した時のことです。祭司エリは年をとり、目はかすみ、「神殿」でなく自分の部屋で床に就いて休んでいました。「神の箱(十戒の石板が納められていた)」が置かれている神殿の ともし火は、消えることなく灯しておかねばならず、少年サムエルは神殿で寝ていました。すると、主はサムエルを呼ばれました。サムエルはエリに呼ばれたと思い、エリのもとに走り「お呼びになったので参りました」と言いました。

しかし、「わたしは呼んでいない。戻ってお休み」と言われたので戻って寝ました。が、この後も、主は三度もサムエルを呼ばれました。

*主の語られる言葉を聞き分ける

この当時、主の言葉がイスラエルの人々の間に臨むことは少なく、幻が示されることもまれでした。なぜ主は人々に対して語ることをやめてしまったのでしょうか。それは人々が主の前に悪を行い、主の言葉に耳を傾けず、主が何かを語ったとしても人々の心が閉じてしまっており、主のささやく言葉を無視するようになってしまったからではないでしょうか。

しかし主は、サムエルに呼びかけられたのでした。

私達はどうでしょうか。霊的にも疲れていて神様との関係がおろそかになっている時には、神様のささやかれる言葉を聞き分ける力が低下しています。私達が神様と個人的な関係を保つためには、日々の生活の中で神様の言葉である聖書に向き合い、その語られる言葉に集中し、神様が私に何を伝えようとされているのか、心を神様の方へ向けなければなりません。

*主への応答

エリは、サムエルが三度も自分のもとに来たので、主がサムエルを呼ばれていることを悟り、「又、呼びかけられたら『主よ、お話しください。僕は聞いております』と言いなさい」と伝えました。そのため主から再び呼ばれたサムエルは教えられた通り、「どうぞお話し下さい。僕は聞いております」と答え、主からこれから起こることを聞きました。

*パウロの伝道

本日のガラテヤ書は、ガラテヤ教会に偽りの福音が入り込んで影響を受けていたので、パウロは自分が体験した本当の神、真実の神について宣べ伝えているところから始まっています。

パウロとイエス様との出会いは、天からのまばゆい光の中から、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」(サウル=パウロ・使徒言行録9:4)と、名前を呼びかけられたことから始まります。それはパウロにとっては思いもよらないイエス様との出会いであり、その時から彼の人生は変わり、伝道者へと導かれていきました。パウロの伝道は、自分が体験し受けた教えを素直に自分自身の言葉で表現して、何が正しく何が悪いかを神様からの霊によって見分け、「神様」と「イエス様」というお方がどのようなお方かを人々に伝えていく、という伝道です。

ガラテヤの人々も、パウロから、救いをもたらす神様の言葉に出会い、信じる者へと変えられていきました。それはガラテヤの人々が、パウロの中に、生きた神様を見たからではないでしょうか。

*わたしたち

私達も又、サムエルやパウロの体験と同じように、人の声ではなく、神様からの語りかけを聞くことから始まり、イエス様を受け入れて信じた時からイエス様が心の中に住んで下さるようになりました。イエス様は今日も私達の名前を呼んで、私達に必要なこと、私達がするべきことを語りかけて下さっています。私達は、聖霊の助けにより頼み、「主よ、お話しください。僕は聞いております」と、主の語られる言葉を聞き分けて、神様の御心を知ることが出来るように祈り求めて参りましょう。