説教要旨 「幼子イエスへの旅」 東北学院大学 佐藤司郎先生

/n[マタイによる福音書] 2章1-12節 1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、 2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 3 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。 4 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。 5 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。 6 『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」 7 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。 8 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。 9 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 10 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 11 マタイ 2:11 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 12 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。 /nはじめに  今日の聖書には、「羊飼い達」は出てきません。その代わり「占星術の学者達」が登場します。又、救い主の誕生を告げる「天使の声」はなく、その代わり「一つの星」が現れます。しばしば起こることは、こうしたものが私達の頭の中で(一つの画面の中に)まとめられて考えられるということです。そこでクリスマスの飾りの中で(或いはページェントの中で)、羊飼達と学者達が一緒に並んで飼い葉桶の周りを囲んでいることになります。しかし、あちらに出てくるものはこちらにはなく、こちらにあるものは、あちらにはない。あえて言うならそれらは互いに取り換えの出来るものといって良いでしょう。けれども、決して別のものに置き換えることが出来ない方がここに登場致します。その方こそ、クリスマスの中心=イエス・キリストです。この生まれたばかりの幼な子に、きょう、私達は思いを向ける為に、祈る為に、賛美を献げる為に集まっています。私達は伝えられている2000年前の最初のクリスマスの様子に思いを向けたいと思います。 /n不思議な出会い  聖書によれば、その夜、幼な子イエスのもとに、不思議な星の導きにより東の方から占星術の学者たちが来て、幼な子を拝し、宝の箱を開け黄金、乳香、没薬を贈り物として献げるということが起こりました。御子イエスと占星術の学者達との不思議な出会い・・人間的に考えれば、おそらく決して起こる事のないようなそういう出会いです。人間的にはおそらく起こり得なかったであろうということは、いくつかの点で推測出来ます。  第一に、彼らは外国人であったということです。彼らは東の方から・・ペルシャ(今のイラン)から、あるいは反対に、シェバ(アラビア)から来たという説もありますが、よそから来た外国人です。エルサレムに着いて彼らは「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか」と尋ねています。「ユダヤ人の」という言い方はマタイ福音書では外国人(異邦人)の言い方として知られています。ユダヤの救い主とは関係のない人達でありました。第二にもっと彼らを聖書の世界から遠ざけていたのは職業・・占星術(星占い)です。天体の動きを読み取り、地上の出来事の預言をする。それが彼らの役目です。天体観測といえば科学者ですが、星の動きと地上の出来事を関連させるとなると単に科学者と呼ぶわけにはいかない。「まじない」といわれるようなことにかかわっていたはずで、いかがわしさはぬぐいきれない。こういう人達に対して聖書では、自然も歴史も治めているのは神様だと考えていましたので、まじないに携わる者は神様の権限を侵す者として忌み嫌われていました。つまり占星術は偶像礼拝と迷信の源だと考えられていました。この点でも彼らは聖書の世界から(イエスから)最も遠くにいた人達でした。このような人達がまことに不思議な仕方で幼な子イエスに出会い、聖書の神とかかわり合いを持つようになった。それが今朝、私達に示されている物語の中心です。 /nその方の星を見た  聖書には、占星術の学者達が星に導かれて、エルサレムの町の中心に突然あらわれたと書いてあります。彼らが口にした言葉は「私達は東方でその方の星を見たので」。これが、彼らをして何千キロの旅をさせた理由でした。「星を見たので」・・たったこれだけです。それ以上のことは聖書では何も説明しておりません。むしろ、そういう意味で、私は、この個所はクリスマスの度ごとに読んだり聞いたりして、実はいつも心高められる・・そういう思いがいたします。  本来神と関係なく生きていたその彼らの所にも星が輝いた。無論、星の導きそのものは迷信につながるようなものも持っていたでしょうが、そうしたことも含めて彼らが最も身近に知っていたものを用いて、彼らの生活(星占いという彼らのなりわい)を通して神ご自身が本当の救い主に出会う道を開いて下さったということ、神の光の届かない所はないというのがこの物語が明らかにしている真実であります。「その方の星を見たので」・・。彼らを普段の生活からその外へと踏み出させたのは、その星の光、星の輝きです。その星に彼らは吸い寄せられるようにしてやってきたのです。長年の天体研究の成果がその場合どのように役立ったかはわかりません。むろんそれだけではなかったでしょう。やはり不思議です。彼らの知識の延長線上に幼な子イエスへの旅の決意がなされたというふうには思われないのです。そこで思い出すのはキルケゴール(19世紀のデンマークのプロテスタントの思想家)が、晩年しばしば「飛躍」ということを言ったことです。信仰には飛躍が必要だと申しました。或いはシモーヌ・ヴェ-ユ(20世紀のカトリックの女性思想家)は、「私達が立っている為には、常に下へと向かわせる重力を受けている。私達を上へと引き上げる恩寵・恵みということがなければ信仰は成立しない」と言いました。上からの引き上げの力が起こらないと(働かなければ)・・と言っています。そうした飛躍がなければ、そうした恩寵がなければ、この占星術の学者達も「私達は東方でその方の星を見たので拝みにきたのです」という明確な言葉を語ることは出来なかったように私には思われます。「その方の星」・・そうです。私達の内なる星ではない。内なる光ではない。私達の上に輝く御子イエス・キリストの星が彼らを旅立たせたのです。 /n神なき所から神と共に生きることへ  こうして占星術の学者達はその遍歴の旅を通して、それ迄自分達と何の関係もなかった御子イエス・キリストとかかわりを持ち始めます。神の救いの歴史の中に入っていったといっても良いでしょう。神の救いの歴史に彼らが入っていくということは、反対に神の救いの歴史が彼らの中に入り込んでいくということです。それは、神が彼らと共に生きようとされたということです。そして彼らが神と共に生きるようになるということです。人は誰も、もはや神なしではないということ。それがここで起こっていることです。偶像礼拝や迷信の中にいたあの占星術の学者達。ただ星に導かれて幼な子イエスを拝した姿は私達自身の姿として見ることが出来るとしたら、彼らも私達も もはや神なしではない、ということです。イエス・キリストがお生まれになったということ、クリスマスということ、それは神なき所から救われたということです。ですからこの場合の救いとは、私達の悩みがいっぺんに解消したり、病気がすぐに治ったり、幸福をつかむ、という以上に、神と共に生きることが出来るということ、神をあてにしていいということです。もし私達の悩みが解消されるのが救いであるならば、悩みがなければ救われなくて良い、というのでしょうか。もし幸福をつかむということが私達の救いであるとするならば、幸福をつかんだら神様はいらない、ということでしょうか。そうではないのです。神なき所から救われるということ。これが聖書の救いです。神が共にいて下さるということ。私達自身の人生を神の地平の中に見出して、神との関係において新しく生きることがゆるされるということ。これがここにおいて占星術の学者たちの中に起こったことであり、私達にも起こるべきことです。それはもはや死の影の谷を歩まないで済むということではなくて、死の影の谷を歩む時でも恐れない、意気阻喪しない、なぜなら神が共におられるから、と告白することが出来るからです。 /n神の歴史の中に入っていこうとしなかった人  占星術の学者達はイエスと出会い、神の歴史の中を入っていきましたが、神の歴史に入っていこうとせず、これを否定し自分の歴史を変えて押し広げようとした(その為、占星術の学者達と幼な子イエスとの出会いを妨げようとした)人がおりました。当時のユダヤの王ヘロデです。大王と呼ばれ残虐で知られていた彼は、35年にわたってユダヤを専制支配しました。キリストがこのヘロデ時代の最後に生まれたのです。今日の聖書によれば、東方から来た学者達と「その方はどこにおられますか」という問いに不安を感じた王は、ユダヤ人の王と称されるイエスを探し出して殺そうとします。しかし見つけられずベツレヘムとその周辺一帯の2歳以下の男の子を一人残らず殺させたのです。イエスがお生まれになった時、まさに闇が深く時代と視界を覆っておりました。重要なことはイエス・キリストの誕生を喜ばない、かえって亡き者にしようとしたそのような闇の世を、御子イエス・キリストはご自分の生の場所としたことです。そこで生きようとされた、そこで生きたということです。そこが神のものとなる為です。そこで生きる私達が神のものとなる為です。彼は十字架を引き受け、闇の世の力に自らをさらすことによって、かえってその闇の力そのものに死をもたらした。復活によって明らかにされたのはそのことでありました。 /n御子イエスの誕生  世のクリスマスはイルミネーションで飾りつけられ賑わっています。しかし聖書の示す御子イエスの誕生とは、そうした華やかなものとは無関係でした。御子イエスはこの世に、この世をあがなう為に来られたのです。神と人とを結びつける為に、神が人と共に生きる為、人となってこの世に来られたのです。今日の聖書が示す幼な子イエスの姿は、ヘロデのように暴力と権力によってではなくてその無力において、栄光ではなくその苦しみにおいて、人々を助け,平和をもたらす真の王の到来を示しています。 /n神の言葉  イエスを拝した彼らは、まるで急いで舞台から消えていくように、再び自分の国に帰っていきました。その時故郷で輝いたあの光はもうそこにはありませんでした。聖書はこれをこう伝えています。「ところが『ヘロデの所へ帰るな』と夢でお告げがあったので・・」。確かにあの星はもはや輝いていません。暗闇・ヘロデの世界です。神なき異教の地に彼らは戻ろうとしたのです。私達は上を見上げ、あるいは周りを見ます。どこかに私達を導いてくれる目印はないものか。それはもはやどこにもないのです。聖書はその代わり、「夢でお告げがあった」と伝えています。そしてそれは「ヘロデの所へ帰るな」というまさに言葉でありました。そうです。頭上に輝く星ではなくて、占星術の学者達に神の言葉が、神の戒めが、神の定めが、神の道が示されます。神の指し示す道、別の道、それは私達の心の中に響く神の言葉です。自分の国に帰った学者達を待っていたのは依然として異教の世界であり、暗闇の世界です。でも神が彼らと共に歩もうとされたということ、彼らが神と共に歩むことが許されるようになったということ、彼らの歩みを確かにするものが彼らの心に響きます。神の言葉です。御子イエス・キリストへと導かれて出会い、喜びを共に心にお迎えした彼らを、私達を、導くのは神の言葉です。それは私達に別の道を指し示すのです。 /n和解の福音 今年も国内でも海外でも,まことに悲惨な事件が相次ぎました。一昨年ドイツから来た友人が日本に着いて「ストレス社会」という言葉を口にしました。皆、追われるようにして自分一人の幸せを追いかけて、他人を思いやる、一人一人を大切にする、神様によって創られ神様に愛されたかけがえのない人間として私も愛する、ということがなくなった。神を愛するということは神が愛されたものを愛するということでなければならない。国を愛することも大切ですが、隣人を愛するということの方がもっと大切なことではないでしょうか。或いは、社会における虚偽や不正が後を絶たない。真の神がいないゆえに神の前に良心的に生きることが総崩れになっている。それが現代の日本です。或いは、聖書は私達に和解の福音・・つまり私達はすでに他者としての神に受け入れられているということ・・を告げています。そのように、私達も他者に対して心を開き、受け入れるようにと促されています。しかしそれはどうだったでしょうか。あの前の戦争を反省し、アジアの人々と和解と平和に生きるという道をこの国は本当に歩もうとしているのか。ヘロデの権力者の道ではない。殺戮と戦争の道ではない道です。別の道です。武器に頼らない国としての生き方、私達の生き方です。イエス・キリストの中に示された生き方です。一言でいえば、神を愛し、隣人を自分のように愛する道です。暴力や差別を否定する道です。神の言葉が私達に示す道です。どこを見ても星はない。上を見てもだめなのです。神の言葉がこの暗いこの世の中でも輝き、私達に確かな道を示すのです。暗闇に輝く光、イエス・キリストに従って,その御言葉に従って,今から、そしてここから、過ぎゆこうとしているこの年の残りの日々を、そして来たらんとする新しい年を、たとえ暗闇であっても、暗闇が深ければ夜明けは近いのだから、神の言葉に示される道を通って望みの忍耐において歩みたいと思います。20世紀を代表した神学者カールバルトは、1968年12月のアドベントの死の前日、60年来の友人トゥルナイゼンと電話で暗い世界情勢について話し、最後にこういったと伝えられています。「しかし、意気消沈しちゃあ だめだ。絶対に。主が支配したもうのだからね。」 クリスマスから歩む。幼な子イエスから歩む。インマヌエル(神共にいます)から歩む。つまり御言葉から歩むということは、この世の主、教会の主、私達一人一人の主の恵みのご支配のもとで、絶対に望みをなくさないという意味です。それが、今年、このクリスマスに神が私達に語られていることです。

説教要旨 「私の目が救いを見た」 牧師 佐藤義子

/n[ルカによる福音書] 2章21-35節 21 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。 22 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。 23 それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。 24 また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。 25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。 26 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。 27 シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。 28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。 29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。 30 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。 31 これは万民のために整えてくださった救いで、 32 異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」 33 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。 34 シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。 35 ――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」 /nはじめに  3本目のローソクに火がともりました。待降節の第一週目にともされた最初のローソクは、待つ時間の長さを表すようにずいぶん小さくなりました。私達にとって待降節の「待つ」という意味は、クリスマスを待つというよりもイエス様が再びおいでになる「再臨を待つ」というニュアンスの方が強いのですが、イエス様誕生以前のユダヤの人々にとってメシア待望の思いは、私達の想像をはるかに超える強いものであったと思います。 /n救いのご計画  多くの民族の中から神様はユダヤの民を「神の民」として選ばれ、人類に対する救いのご計画を預言者を通して明らかにされていました。救い主が与えられるという約束です。メシア(救い主)はエッサイの家系から出ると預言されておりました(エッサイはダビデ王の父)。ユダヤの人々は神の民(選民)でありながら、その歴史は悲惨でした。一時期非常に栄えた時代がありましたが(紀元前1000年前後にわたるサウル王・ダビデ王・ソロモン王の治世)、その繁栄は長続きせず、ソロモンの死後 国は分裂し、北(イスラエル)王国は紀元前8世紀にアッシリヤ帝国に滅ぼされ、南(ユダ)王国も紀元前6世紀にバビロニヤ帝国に滅ぼされ、以来、ペルシャ、ギリシャ、ローマと常に外国の支配下におかれました。彼らは国を持てないまま、長い長い時代を苦しんで生きてきましたが、メシア待望の信仰が消えることはありませんでした。メシアを、この世的な地上での繁栄をもたらす王として待ち望む人々が多くいた中で、シメオンは違いました。 /nシメオン  聖書は彼をこのように紹介します。「この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた」。シメオンが聖霊に導かれて神殿の境内に入ってきた時、両親に連れられてきた生後40日のイエス様に会ったのです。 シメオンは幼子イエス様を腕に抱き、神様をたたえて言います「主よ、今こそあなたは・・この僕を安らかに去らせて下さいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」。 幼子イエス様を見て、シメオンは神様の約束の救いの「成就」を見たと告白したのです。何という信仰告白でしょう。彼の確信は聖霊の賜物によるものでした。正しく生き、信仰あつく、聖書の約束を信じて聖霊の賜物をいただいたシメオンに想いを寄せながら、自らの信仰を吟味したいと思います。 /n心にある思いがあらわにされる  シメオンは、神様の救いは「異邦人を照らす啓示の光」であると語り、マリアにはイエス様の将来を予告し、彼の存在は「多くの人の心にある思いがあらわにされる為」と語りました。イエス様は暗闇に生きる私に神様を伝える光として来られました。ヨハネ福音書では、イエス様は道であり真理であり命であると語られています。イエス様が来られたことにより、私達はイエス様に従う者になるのか、違う道をいくのか、心にある思いがあらわにされます。待降節のこの時、神様が私の罪を赦し私の魂を救う為に、そして永遠の命を与える為に、この罪の世の中にイエス様を誕生させて下さったことを深く味わいたいと願うものです。

説教要旨 「わたしの家は、祈りの家」 牧師 佐藤義子

/n[マタイによる福音書] 21章12-17節 12 それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。 13 そして言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしている。」 14 境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた。 15 他方、祭司長たちや、律法学者たちは、イエスがなさった不思議な業を見、境内で子供たちまで叫んで、「ダビデの子にホサナ」と言うのを聞いて腹を立て、 16 イエスに言った。「子供たちが何と言っているか、聞こえるか。」イエスは言われた。「聞こえる。あなたたちこそ、『幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美を歌わせた』という言葉をまだ読んだことがないのか。」 17 それから、イエスは彼らと別れ、都を出てベタニアに行き、そこにお泊まりになった。 /nはじめに  本日、待降節第2週目に入りました。先週、キャリー牧師が説教で語られたように、「待降節は多忙な日々をスローダウンして平静になり、『誰が現実にすべてを支配しているか』を思い起こす時」として過ごし、父なる神様が、私達を罪の支配から救い出す為にイエス様を遣わして下さったことに心を向け、今も変わらぬ愛のもとで私達を導いて下さっていることを感謝しつつ過ごしたいと思います。 /n宮清め  今日の聖書は「宮きよめ」と呼ばれている大変有名な個所でもあります。平和の象徴である「ろば」に乗ってエルサレムの町に入られたあの柔和なイエス様が宮にいた人々を追い出された、という出来事に私達は驚かされます。イエス様のご生涯においてこのような力をもって対処されたのは、おそらくこの時が初めの終わりではなかったかと思います。なぜイエス様はそのようなことをなさったのかをご一緒に考えてみたいと思います。 /n神殿における売買  イスラエルの人々にとって神殿は大変大きな存在でした。過越しの祭りや、仮庵の祭り、七週の祭りなどの大きなユダヤ教の祭りの時には世界各地からエルサレムに集まり、犠牲の捧げもの(牛や羊、貧しい人は鳩)をささげました。これらは聖なるものとして無傷であることが求められ、持ち込む場合は祭司による検査が必要であったので,人々はすでに神殿当局に認可されて売られていた動物や鳩を神殿で買い求めていました。献金も古いヘブルの貨幣と定められていた為、両替が必要でした。 /n神経をマヒさせる日常の光景  イエス様が神殿でご覧になったのは、動物や鳩を売り買いする人々、両替人の台がずらりと並び、そこでお金を計算し取引する人々でした。おそらく動物の鳴き声や人々の声の飛び交う騒々しいこれらの光景は、イスラエル人にとっては見慣れた姿であったのでしょう。しかしそこは神殿の境内であり、異邦人はそこでしか祈ることが出来ませんでした。 /n神殿は祈りの場所  神殿(教会)は神の家です。神殿で人は神様に心と思いを向けます。神殿での仕事は祈りです。人は、神様が自分と共にいて下さり、祈りを聞いて下さり、神様の憐れみといつくしみの中に自分が置かれていることを確信して神様と語るのです。神殿の境内で商売をしていた人達は、祈る目的でそこにいたのではなく、そして、買い求める人達は律法の規定にあるからそれを購入するのであり、それをすることが神の前で自分の責任を果たすことだと考え、そのことが自分達の信仰の証であり、その安心感にどっぷりつかっていたと考えられます。 /nイエス様の教え  イエス様はイザヤ書56:7とエレミヤ書7:11を引用され、「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたたちは それを強盗の巣にしている。」と言われました。彼らが神殿に依存しているのは神への祈りの為ではなく、神殿があたかも強盗の隠れ家のように、商売の為、自己正当化の為に利用して、日々の生活が神様から離れていることを、実力行使で示されたということでしょう。 /n私達の教会生活  私達は今日の聖書から、毎週礼拝に教会に向かう時の自分の意識を吟味したいと思います。「祈りの家に行く」との思いで毎週来ているのか、又、ここでの礼拝が、神様の前で悔い改めの時、ゆるしをいただく恵みの時、感謝をささげる喜びの時、祈る力をいただく励ましの時、となっているか・・。イエス様がこの出来事を通して伝えようとされたことをしっかり受け止めたいと願うものです。

説教要旨 「もはや戦争を学ばない」 Rev.Cally Roger Witte

/n[イザヤ書] 2章1-5節 1 アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて幻に見たこと。 2 終わりの日に/主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち/どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい 3 多くの民が来て言う。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから/御言葉はエルサレムから出る。 4 主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。 5 ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。 /n 今日、皆さんんと共にあることは、私の大きな喜びです。今回の日本訪問は、私の最初の日本訪問であり、日本のクリチスチャンと一緒に礼拝すること、ましてや説教をすることは初めてです。今日、私が皆さんと共にあることは、とても光栄です。ありがとうございます。 私は皆さんに米国合同教会および世界宣教部からもご挨拶させていただきます。世界宣教部とは、米国合同教会が他の教派と一緒に活動している世界宣教の部門です。 ここ、仙台に来ることが出来ましたことは、私にとって本当に喜びです。というのも、仙台には、私達の教会の実に多くの信仰に満ちた宣教師が、過去5,60年にわたり仕えてきているからです。 2,3週間前ですが、私はカリフォルニアにあるピルグリム・プレースを訪問しました。そこは、教会で奉仕をされてきた方々が引退して住んでおられるコミュニティで、私は隠退された数人の宣教師を訪問する幸運に恵まれました。そして私は、彼らから深い仙台への愛と、仙台における宣教についての話を聞くことが出来ました。 さて、私は、皆さんの牧師である佐藤牧師と、ご主人、そして米国合同教会宣教師のマーチー先生やジェフリー・メンセンディーク先生と知りえましたことを喜んでおります。 私は又、世界宣教のインターンとして数ヶ月後にここに来ることになる若い婦人を推薦したいと思います。皆さまは、きっと歓迎してくれると思います。 この家の教会での特別な時を皆様に感謝したいと思います。 私は、皆様に、Happy New Year とも言いたいと思います。と申しますのは、クリスチャンにとっては、今日は、新しい年の最初の日曜日、つまり、教会のこよみでは、最初の日曜日であるからです。教会の暦では、これまで、聖霊降臨節として通常の時を過ごしてきましたが、今日、全く新しい年、新しい歩みを始めることで、この聖霊降臨節をきっちりと終わらせるのです。そしてすべてのことが再び始まります。神様の時間において始まるのです。 私達の周囲の社会は、アメリカのように、クリスマスが世俗的な一大消費のお祭りになっている所では、増大する消費者消費を期待しながら、企業の年間利益報告を待ちつつ、この年を終えようとしています。又、私達の周りのすべての人々は、せわしなく歩み、ますます仕事に集中していますが、このクリスマスの待降節は、私達を全く異なる、新しいものへと招いています。 神学者・旧約学者として良く知られている米国合同教会の現在のメンバーであり、福音派的改革派のDr.ウオルターブルゲマンが次のように書いています。 「待降節は、私達を、マヒしてしまった忍耐や、慣れ親しんだ期待から目覚めさせ、神様が与えようとしている新しい贈り物(ギフト)の見地から、私達の歩みを新たに考えるようにと招いている」。 しかしまず第一に、私達は、気の狂わんばかりの人生の慌ただしさからスローダウンして待たなければなりません。待降節は、待つ時であり、平静になる時であり、誰が現実にすべてを支配しているかを思い起こす時です。 イエス様の誕生をお祝いするこのクリスマス・シーズンの準備において、個人や家庭・教会が、この特別な4週間に行う多くのすばらしい習慣があります。 私の子供たちがまだ小さかった頃、(実は27才と30歳になった今でも)私達はこのアドベントの伝統である4本のローソクに火をともすこと、平和、希望、愛、喜びを表すローソクを、アドベントの日曜日ごとに一本一本と、火をともしていくのを今も愛しています。又、クリスマスイブまでの日を数えながら、毎朝、朝食の時に、アドベントカレンダーの小さな窓を開けていくことや、その日の為の聖書の個所を読むことを愛しています。 私達は又、小さな飼い葉おけの場面のコレクション、まぶねのキリストのセット、キリスト降誕のセットなどをもっており、それらをアドベントの最初の日曜日に、家のまわりに置きました。これらは、マリア、ヨセフ、幼子キリストの彫像であり、又、羊飼いと一匹二匹の羊、そして拝みにきた三人の王、あるいは学者でした。私達の家庭では、幼子イエス様をセットから隠して、それを24日のクリスマス・イブに持ち出すために、待つのです。 しかし、大事なことは、このアドベントは、神様が私達のためにどのような世界を望んでいるかを考えること、そして、「すべての者の平和と善意のメッセージ」という驚くべき知らせを熟考する季節であり、時なのです。この時は、待つ時であり、静止し、神様を知る時です。 神様がどんなに人類を愛しておられるかを深く考える時です。それは、貧しい人々、抑圧された人々、囚われている人々、この世の物質主義や消費主義に、どういうわけか、とりこになっている私達すべてに対して、権力と支配が振るわれている人々に対して、神様は、良き知らせをもたらす為に、イエス様を派遣されたということです。まさに、新しい年、新しい時です。 私達はイエス・キリストにおいて、新たな道、新たな命を与えられるのです。 今日、私が注目したい聖書の箇所は、預言者イザヤからのものです。それは美しい節であり、芸術作品ともいえる詩的な言葉です。ある人は、市民権運動の指導者、マルティン・ルサーキング博士の美しい、人を奮い立たせる演説に結びつけています。というのは、この節、言葉は平和・正義・そしてすべての人をいやす預言者の幻について、のべているからです。 この新しい年において、私達は、戦争に替えて平和を求めるイザヤの言葉を聴きます。それは 私達に、もはや、戦争を学ばないことを求め、私達のつるぎを、「すき」に替えることを求め、又、私達の戦争の武器を、善きものの為に、平和の為の道具に替えることを求めています。 私達は又、世界中が恐ろしい戦争と殺りく、紛争と闘争の中にあって、この驚くべき言葉を聞きます。確かに、我々アメリカのクリスチャンは、イラクにおける戦争の中にあって、この言葉を聞かなければなりません。そこでは、私達の国の行動が、400万の人々が故郷から逃れなければならない原因を引き起こしました。その内の200万人は隣国へ避難を求め、国に残った後の200万人は,まさに彼らの命がおびやかされ、彼らのこの世の財産を投げ出さざるを得なくしています。 私達は、戦争の主導者や、自国の政府の暴力によって迫害されたスーダンのダルフールの飢えた人々をテレビで見る時でさえも、このイザヤの美しい希望の言葉、この平和のビジョンに耳を 傾けます。又、私達は、しばらくの間、官憲がインターネットのアクセスを切るまでは、前のビルマ、今のミャンマーでの自由のためのデモ隊の取り締まりをテレビで見たその時でさえも、イザヤの言葉に耳を傾けます。私達は地域社会や職場、又私達の家庭でさえも、やはり不正があるのを知っています。その時でさえも、私達は平和と希望のこれらの言葉、正義に満ちた世界のヴィジョンに耳を傾けます。私達は又、他の側面でも、平和の欠如を理解するようになっています。たとえば、不正に直面しても、私達が行動できないようにマヒさせるテロの脅威、私達の人間活動によって引き起こされた美しい惑星である地球に対する損壊、経済生活において、生死の境界線上にある人々の、ますます増大する怒りを理解するようになっています。 イザヤは、イスラエルの人々の美しい町エルサレムが燃やされ、とどめることが出来ないように見える強国によって打ち壊されたのを見ていたその人々に対して、この信じられないほどの美しい、素晴らしい、聖霊に満ちた言葉を語りました。彼らは、次々と来る帝国によって、何世紀にも渡って、脅威、破壊、そして、捕囚を経験しました。彼らは一方で、現実には不可能で気違い沙汰であるような平和の預言者イザヤの言葉を聴き、他方では、信仰の耳を持って、これらの言葉を究極的な希望として聞きました。彼らは、どんな帝国やどんな破壊的な力よりも強い、唯一つの力があることを知っていました。預言者イザヤの言葉は、その時代には明らかであり目に見える物と、全く異なる、未来の神様の約束でありました。 イザヤの言葉は、数世紀の間、生き続けました。それらは、世界中の人々に希望と勇気を与えています。それらは、私達の最も深い、切なる思いを表しています。それらは存在し、そして、 究極的に行使される神様の力を知っている言葉です。それらは、ブッシュ大統領が何とか実際に聞くようにと私が叫びたい言葉です。戦争ではない、平和こそ、まさに神様の御心です。 イザヤ書2章の初めからのこの数節は、優美であり、恵みに満ちており、忘れることが出来ない、心を高揚させる言葉です。それらは、私達が平和をもたらす可能性を持つことができると信じる世界中の人々を、又、まさに神様が管理していると信じる人達を励ましてきました。 神様は、この幻を現実へともたらす神様です。 しかし、それには、私達が準備してなすべき仕事があります。この待降節・この日々に、私達は戦争の道具を平和の道具へとつくりかえるように、と呼びかけられています。 これは神様が、諸国の間に判決を下すのを私達に語るビジョンであり、又、神様が人々の間の 紛争に判決を下すのを語る幻です。「彼らは剣を打ち直して「すき」とし、やりを打ち直して「鎌」とする。国は国に向かって、剣をあげず、もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。」 私が、日本の政府が憲法9条を取り去らないようにと呼びかける会議に参加する為、アメリカから日本に来たのは、大いなる謙遜のもとに(へりくだって)・・です。私の国が、やすやすと戦争を起こす時、私やアメリカから来た誰かが、あなた方に、「もはや戦争を学ばないように」と、どんな権利で言えるのでしょうか。 私は、日本の宗教指導者にとても感謝しています。彼らは、人々に、もう一度、「すき」を武器に替えない、再び、鎌をやりに替えない、戦争を学ばない、戦争を準備しない、もう二度と戦争をしない、と励まし続けているからです。 私は、我々もアメリカ憲法に9条をもったらと願います。そして、いつか神様が私の国にもそのような幻へと導いてくれるように祈っています。 皆様の国は、戦争の恐ろしさを知っています。皆様方は、いかに戦争を学ばないで平和を学ぶか、そして、平和のために助けとなることを、私達すべての人に教えることができます。 イエス・キリストは、平和の君、世の光、私達すべてを自由にするために来ました。 このことこそが、私達が待降節を待ち続けることの意味です。このことこそ、私達が平静になり、神様を知ることが出来る時、私達が心から深く考えることによって得られる、良き知らせです。 Amen and Amen!

説教要旨 「主がお入り用なのです」 牧師 佐藤義子

/n[マタイによる福音書] 21章1-11節 1 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、 2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。 3 もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」 4 それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 5 「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、/柔和な方で、ろばに乗り、/荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」 6 弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、 7 ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。 8 大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。 9 そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」 10 イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、「いったい、これはどういう人だ」と言って騒いだ。 11 そこで群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言った。 /nはじめに  今日の聖書は、毎年、受難週の初めの日曜日(しゅろの日曜日Palm Sunday)に読まれる個所でもあります。イエス様はご自分の受難と復活を予告されましたが、その苦しみを受ける為にエルサレムに近いオリーブ山沿いのベトファゲまでやってきました。町についた時、イエス様は二人の弟子を使いに出しました。(かつて伝道の為に12人の弟子を遣わされた時も、二人一組でした)。ある学者は、二人というのは助け合う為でありワンマンにならない為であり、弟子達が自分の能力や資質によって立っているのではなく、遣わされた者であることを忘れない為だと言います。 /nエルサレム入城  イエス様はエルサレムの町にお入りになるにあたり、勝ちどきをあげて自分の国に帰ってくる王のように、入城することを考えておられました。但し一番違うところは、馬ではなく「ろばに乗って」ということです。馬が戦いの象徴とすれば、ろばは平和の象徴です。イエス様は平和の王として神様から遣わされました。人間は罪の為に、神様から離れて断絶関係にありましたが、神様から、罪の赦しをいただく為に、これから「和解の使者」として受難の時を迎えようとされているのです。イエス様をメシと信じる人々のメシア像は、ローマからの独立を勝ち取る為に戦う馬に乗る王の姿であり、ろばに乗る王ではありませんでした。けれどもイエス様が二人の弟子を遣わした目的は、エルサレムにお入りになる時に乗る「ろば」を連れてくることでした。 /n二人の弟子の仕事  イエス様は「向こうの村に行けば、すぐろばが見つかり、そのろばと一緒に子ロバがつながれている。それをほどいて引いてきなさい」と言われました。二人の弟子はろばを探すために奔走することなく、言われた通りに従うことで、イエス様の手足としての役割を果たしました。 /n旧約聖書の成就  子ロバにのってメシアがエルサレムに入られることは、ゼカリヤ書で預言されていたことでした。マルコ福音書には、二人の弟子がロバのひもをほどいた時、そこに居合わせたある人々が「その子ロバをほどいてどうするのか」と聞いてきた・・とあります。二人はイエス様から教えられた通り「主がお入り用なのです。」と答え、彼らは許してくれたと伝えています。私達は今日の聖書において、確かに神様の救いのご計画が神様の御手の中で着々と進められていくのを見ることが出来ます。 /n主がお入り用なのです  見慣れぬ二人の旅人が勝手にろばをほどくのを許可した村人の判断は、「主がお入り用なのです」というその一言で十分であったようです。このようなことは、見える地上ではあり得ないことです。しかしイエス様が必要とされるものにはそのプロセスにおいて、見えない神様が確かにかかわっておられることを、私達は聖書を通して確信させられます。私達の一つ一つのわざも、神様のご計画の中に置かれる時、今も生きて働いておられる神様が、人知を超えて実現へと導いて下さいます。

説教要旨 「何をして欲しいのか」 牧師 佐藤義子

/n[マタイによる福音書] 20章29-34節     29 一行がエリコの町を出ると、大勢の群衆がイエスに従った。 30 そのとき、二人の盲人が道端に座っていたが、イエスがお通りと聞いて、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と叫んだ。 31 群衆は叱りつけて黙らせようとしたが、二人はますます、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と叫んだ。 32 イエスは立ち止まり、二人を呼んで、「何をしてほしいのか」と言われた。 33 二人は、「主よ、目を開けていただきたいのです」と言った。 34 イエスが深く憐れんで、その目に触れられると、盲人たちはすぐ見えるようになり、イエスに従った。 /nはじめに  聖書の基本的な読み方として「私にとって」「今」「ここで」の読み方を以前お話しました。私達は「ああ、この話はあの人に丁度良い話だ。あの人に聞かせたい・・」などと思うことがないでしょうか。そのような時は、話が自分の前を素通りしてしまっています。「私にとって」という意味は、神様があの人にではなく自分に何を語っておられるかを聞くことです。二番目の「今」とは、過去でも未来でもなく「今の自分」ということです。三番目の「ここで」は、現在置かれている「自分の状況」の中で聞くということです。 /n二人の盲人の叫び  イエス様がエリコの町を出てエルサレムに向かうことを知り、群衆は自分達も過越の祭りの為にエルサレムに行くので後についていきました。イエス様を慕ってのことでしょう。その途中、道端に座っていた二人の盲人が突然「主よ、ダビデの子よ、私達を憐れんで下さい」と叫びました。それを見た群衆は叱りつけて黙らせようとしました。叫ぶ盲人は、イエス様や自分達の行く手を阻む邪魔な存在として映ったのでしょう。又当時のユダヤ人は、盲人その他の障害を負う人々は神様の祝福から外された人達と考えていました。群衆は、この二人がイエス様の足を止めさせることのないように、盲人を叱り、黙らせようとしたのでしょう。 /n盲人のイエス様への思い  盲人はこれまでイエス様が中風の人、手のなえた人、足の不自由な人、口の利けない人、何よりも自分達と同じ目の見えない人を癒されたうわさやイエス様の教えについて聞いていたに違いありません。二人の心にはイエス様に対する信仰が芽生え育ち、イエス様こそメシア、救い主であるという確信を持ったのでしょう。そこにイエス様がお通りと聞いたのです。千載一遇のチャンスです。自分達の叫びを阻む群衆の叱り声に負けてはいられません。誰も自分達の存在をイエス様に伝えてくれなければ、自分達で頑張るしかありません。31節に「二人はますます」とあります。声を張り上げて「主よ、ダビデの子よ、私達を憐れんで下さい」と叫びました。 /n「何をして欲しいのか」  この個所のすぐ前のゼベダイの息子達の母の願いとは対照的に、盲人の願いはこれ迄の暗い苦しみの淵からの叫びであり、その声はイエス様の耳に届きました。イエス様は彼らを呼び「何をして欲しいのか」と尋ねました。イエス様が盲人の思いを知らないはずはありません。しかしイエス様は尋ねられます「何をして欲しいのか」と。この問いは盲人達の信仰告白を引き出します。「主よ、目を開けていただきたいのです」。 /n「主よ」  わずか6節だけの聖書箇所で、盲人の「主よ」との呼びかけは3回もなされます。彼らは自分達が「誰に」「何を願うべきか」を知っていました。(「自分が何を願っているか、分かっていない」とイエス様から言われた前出の母とは対照的です。)このお方こそダビデの子(メシア)であり、自分達の苦しみを知り、願いを聞き届けて下さる唯一のお方であるとのゆるぎない信仰がここにあります。 /n私達の信仰の目も・・  イエス様は盲人を深く憐れみその目に触れられました。盲人は、彼らの確信通り見えるようになり、イエス様に従う者となりました。私達も「主よ、憐れんで下さい」と信仰をもってイエス様を呼び求め、「何をして欲しいのか」と尋ねられたら、「信仰の目を開けていただきたいのです」と願いましょう。「自分の信仰の視力は大丈夫」と考えているなら、「見えると言い張る所にあなたがたの罪がある」(口語訳ヨハネ9:41)と聖書は警告しています。私達はイエス様がはっきり見えていないことを知り、盲人のようにイエス様に憐れんでいただき、自分に最も必要な願いを聞いていただいて、今週も、喜んで従う者になりたいと願うものです。

説教要旨 「ユダの裏切り」 佐々木哲夫先生(東北学院大学)

/n[マルコによる福音書] 14章43-50節 43 さて、イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダが進み寄って来た。祭司長、律法学者、長老たちの遣わした群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。 44 イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。捕まえて、逃がさないように連れて行け」と、前もって合図を決めていた。 45 ユダはやって来るとすぐに、イエスに近寄り、「先生」と言って接吻した。 46 人々は、イエスに手をかけて捕らえた。 47 居合わせた人々のうちのある者が、剣を抜いて大祭司の手下に打ってかかり、片方の耳を切り落とした。 48 そこで、イエスは彼らに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。 49 わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいて教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。しかし、これは聖書の言葉が実現するためである。」 50 弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。 /nはじめに  ユダヤのカリオテ村の出身者が、イスカリオテのユダと呼ばれていたイエス・キリストの弟子、12弟子の一人でした。彼は、イエス・キリストを裏切ったことから「裏切り者」の代名詞として知られている人物です。(マルコ福音書によれば)イスカリオテのユダはイエスを引き渡そうとして祭司長達の所に出かけて行き、彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダはどうすれば折り良くイエスを引き渡せるか、ねらっていたと記されています。最後の晩餐の後では、「私が接吻するその人がそうだ」と前もって合図を決めており、合図通り、先生であるイエス・キリストに近づいて接吻したと記されています。接吻するほどに近しい関係にあったイスカリオテのユダが行なった「裏切り」というのは、一体何だったのか。ユダの裏切りをめぐり、三つの点について考えてみたいと思います。 /n第一:ユダは欲得で裏切ったのか?  「裏切り」とは、敵に内通して主人や味方にそむくこと(広辞苑)です。特にユダは、イエス・キリストという先生(主人)を祭司長・律法学者・長老に引き渡すということで、イエス・キリストを裏切ろうとしていました。マタ福音書や他の福音書を見ると、ユダは、イエス・キリストを銀貨30枚で売り渡したと記されています。ということは、ユダは銀貨30枚のお金欲しさにイエスを売り渡したのか?ということです。ヨハネ福音書によれば、ユダは盗人であって金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたと記されています。しかし、確かに盗人ではありましたが、銀貨30枚は当時の労働者が一か月働いて得られる金額に相当する額です。危険を犯してまで先生を売り渡して得ようとする金額としては、それほど多くはないと思われます。 /n第二:ベタニヤでの出来事  ユダがイエスを裏切ろうと決断する直前に、一つの出来事がありました。ベタニヤの女性がイエス・キリストの頭に高価な香油を惜しげもなく注いだ、という出来事です。非常に高価な香油でした。ユダは「なぜ、この香油を300デナリオンで売って貧しい人々に施さなかったのか」と非難します。換算するならば、十か月分の労働賃金に相当する額です。銀貨30枚に比べたならおよそ10倍、大きなお金です。貧しい人に施せば社会の為になる。今でいえば、経済的に困っている人を救済するなどの社会福祉活動が出来る、という主張であったでしょう。しかし、そのやりとりに対して、イエス・キリストは次のように言います。「この人のするままにさせておきなさい。私の葬りの日の為に、それをとって置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、私はいつも一緒にいるわけではない。」 /n先生と弟子達の食い違い  ところで、香油を注いだベタニヤの女性を非難したのは、一人イスカリオテのユダだけではなく、他の弟子達も一緒にそのことを批判したようです。即ちこの出来事は、弟子達の考えと、先生であるイエス・キリストの考えが微妙に食い違っていることをあらわにした事件でもありました。当時弟子達は、イエス・キリストの教えと行動は、この世において貧しい人々が豊かにされる為のものであり、最後には当時の支配者であるローマ帝国を打ち破ってイスラエルを独立させ、神の国を樹立させる・・そんな運動であると理解していたのでしょう。  ナルドの香油(ベタニヤの女性の注いだ香油)の出来事は、弟子達が考えていた考え方(神の国を樹立させる運動)とは全く異なる出来事として彼らに映りました。イエス・キリストは香油を注いだことを肯定した。そのことは、弟子達の理解・希望・主義主張をイエス・キリストは明確に否定する出来事して弟子達には映ったのでした。その直後からユダは動き始めています。ユダは、「先生であるイエス・キリスト」ではなくて、「自分の主義主張」を優先させ、行動し、それが裏切りという形で現れたのです。ユダの行動は彼独りの行動ではなくて、むしろ弟子達の思いを代表しての行動であったということになります。その証拠に、その後 弟子達はイエス・キリストのもと(十字架のもと)から逃げ去ったのです。 /n第三:イエス・キリストはユダに対して無力であったか?  第三に考えたい点は、イエス・キリストはユダのはかりごとに対して無力であったのか、言い換えるならば、ユダは救われる余地がない程に、決定的に滅びに定められてしまった罪人なのか?ということです。ユダは聖書の中で、使徒のユダと紹介されており、会計係を担当し、キリストに接吻して挨拶するほど近しい関係にあった側近中の側近の弟子です。そのような人物が救われる余地のないほどに滅びに定められていたと考えることは出来ませんし、ユダの罪を救えなしほど、無力なイエス・キリストであるとも考えられません。聖書は最後の場面で、キリストが弟子達にパンを裂きぶどう酒の杯を与えたと記していますが、こんな言葉を語っています。「<span style="font-weight:bold;">見よ、私を裏切る者が私と一緒に手を食卓に置いている。人の子は定められた通りに去っていく。だが、人の子を裏切る者は不幸だ</span>」。弟子達はその言葉を聞いて「一体誰がそんなことをしているのか」と互いに議論し始めたと記されておりますし、イエス・キリストは又、「しようとしていることを、今すぐしなさい」と彼に言われたとも記されています。あのレオナルド・ダ・ヴィンチが描き出そうとしているその決定的な瞬間です。哀れなことに、その時弟子達は自分達の内で誰が一番偉いだろうかと議論しているのでもあります。まさに、ユダの汚れは弟子達に共通の罪であり、罪の汚れでした。 /n裏切りの結末  しかしユダの場合、イエス・キリストを敵に渡したことが、たったそれだけのこと、と思っていたそのことが、十字架へとつながっていく展開に気がついたのです。ユダは驚きます。そこまでは考えていなかったのでありましょう。イエス・キリストを殺すということは、弟子としてこれまでの自分をも否定する出来事です。ユダは、イエス・キリストを裏切っただけではなく、自分自身をも裏切ったことに気が付きます。聖書は次のように記しています。「<span style="font-weight:bold;">イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨30枚を祭司長達や、長老達に返そうとして『私は罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました』と言った。しかし彼らは,『我々の知ったことではない。おまえの問題だ』と言った。そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。</span>」(マタイ27:3-5)。後に、イエス・キリストは十字架の上で、「<span style="font-weight:bold;">父よ、彼らをお赦し下さい。自分が何をしているのか知らないのです</span>」と祈りましたが、その言葉はイスカリオテのユダにも妥当する言葉であったのでしょうが、ユダ自身がそのような言葉を拒絶してしまう生き方をしてしまったのです。 /n天を見上げる11人の弟子  さて、私が奉職している大学の礼拝堂正面のステンドグラスに、その後のイエス・キリストの姿、復活のイエス・キリストの天に昇る姿が描かれています。今まさに、天に帰ろうとしている復活のイエス・キリストです。そしてその下に、そのイエス・キリストを見上げている地上の人々が描かれています。信仰に目覚めた使徒達です。先日ある人が、この情景を「天を見上げている十二使徒達」としましたが、そこには11人しか描かれていないのです。最後の場面でイエス・キリストを見上げる使徒達の中には、ユダはいないのです。彼は結果として自ら捨てられた者、滅びる者となったのです。 /n復活の主を見上げる弟子達の延長線上に立つ。  私達はイエス・キリストの弟子達の延長線上にある者です。その延長線にはペテロがおり、イスカリオテのユダがおり、そしてパウロもいます。2000年の歴史を貫いて、多くの人々がその延長線上で実存をかけつつ生きてきました。その全ての人々にイエス・キリストは、「私もあなたを罪に定めない。これからは、もう罪を犯してはならない」(ヨハネ8:11)と語りかけているのです。イエス・キリストの前から立ち去る者ではなく、最後の場面の11人の弟子達のように、復活のイエス・キリストを見上げる、そんな線上に私達も又、立ち続ける者でありたいと願う者であります。

説教要旨 「身代金として命を献げる為に」 牧師 佐藤義子

/n[マタイによる福音書] 20章17-28節  17 イエスはエルサレムへ上って行く途中、十二人の弟子だけを呼び寄せて言われた。 18 「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、 19 異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。そして、人の子は三日目に復活する。」 20 そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした。 21 イエスが、「何が望みか」と言われると、彼女は言った。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」 22 イエスはお答えになった。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」二人が、「できます」と言うと、 23 イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。しかし、わたしの右と左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、わたしの父によって定められた人々に許されるのだ。」 24 ほかの十人の者はこれを聞いて、この二人の兄弟のことで腹を立てた。 25 そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。 26 しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 27 いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。 28 人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」 /nはじめに  今日の聖書には、イエス様の三回目の「十字架の死と復活」の予告がされています。イエス様の受難は、まずユダヤ人に引き渡されて死刑が宣告され、その後異邦人(ローマ人)に引き渡され、侮辱され、むちで打たれてから十字架刑の執行を受けるという予告です。そして死の後、三日目に復活することが宣べられています。 最初にイエス様がこの予告をされた時(16:21)、弟子のペテロはむきになって否定しました。「とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」イエス様はペテロに、「サタン引き下がれ。あなたは私の邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」と叱りました。二回目の受難予告の時(17:22)は「弟子達は非常に悲しんだ」と記されています。今回は、イエス様は一般の人々から12人の弟子達を引き離して(17節)「今,私達はエルサレムに上っていく」と言われました。その決意の言葉から弟子達は、エルサレムの旅の先にはイエス様の受難と死が待っていることを感じとったでありましょう。 /nヤコブとヨハネとその母の願い事  この後、ヤコブとヨハネ(兄弟)の母親が願い事をする為に、二人の息子と一緒にイエス様のところにやってきました。この二人は12弟子の中でもペテロと一緒にいつもイエス様と行動を共にしていた弟子でした。母親の願いとは、将来、自分達の息子をイエス様の右と左に座らせて欲しいというものでした。それが母として息子の為に出来る最大のことであると考えて、その約束を希望として生きていこうとしたのでしょう。 /n三つの問題点   しかしこの願いに対してイエス様は三つのことを教えられています。一つは、イエス様が将来王座につくことになるのは、これから迎えることになる受難の一つ一つのプロセスを、神様から与えられた使命として従順に従うその結果です。イエス様の左右に座る者は、イエス様と並んで、イエス様と共に苦難の道を歩くことを意味します。イエス様は二人に、 「私が飲もうとしている杯(受難と死)を共に受けられるか」と尋ねられました。二人は即座に「出来ます」と答えています。しかしこの後二人は(ペテロも一緒に)、ゲッセマネで悲しみもだえて祈られるイエス様のすぐそばで眠ってしまいましたし、剣や棒を持って捕えにきた人々を前にしてイエス様を見捨てて逃げ去っています。イエス様は二人に「確かにあなたがたは私の杯を飲むことになる」といわれました。これはイエス様の復活と昇天後、聖霊がくだった後の伝道者としての二人をさしています。(使徒言行録12:1‐2他) /n二つ目の問題点  二つ目の問題点は、母親は願う相手を間違えているということです。イエス様は確かに神の国において主でありたもうお方です。しかしイエス様の力の根源は父なる神様への服従に基づいており、父なる神様の決定こそイエス様の原則です。誰が左右に座るかということは、父である神様がお決めになることです。 /n三つ目の問題点  三つ目の問題点は、この願い事を知って腹をたてているほかの弟子達も含めて、「天の国においては、この世のあり方とは違う」ということがわかっていないことです。この世では、支配者は支配される者に力をふるい、彼らを従わせることが偉大なこととして評価されています。弟子達は 自分を他者より優位にたたせようとしています。イエス様は 「あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、一番上になりたい者は、皆のしもべになりなさい。」(26節-27節)と教えられました。 /nへりくだり、従順であられたイエス様  イエス様は周囲から抜きんでて他人を見下げるような、他人を小さくするような力を退けます。他者を大きくし、他者を高め、他者を強くするように力を用いることを教えられます。イエス様は、人を富ませることはあっても、ご自分を富ませることはなさいませんでした。そして最後に、私達人間を罪の支配から救い出して自由を与える為に、ご自身の命を身代金としてささげられました。私達の命と体が罪にとらわれていたのを、御自分の死と引き換えに、罪から解放してくださいました。イエス様はこのために、つまり、人々に仕え、命をささげる為に来られたと語られています。 /n<フィリピ書2章3節-11節>  「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリストイエスにもみられるものです。 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、 かえって自分を無にして、しもべの身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上の者,地上の者、地下の者がすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が「イエス・キリストは主である」とおおやけに宣べて、父である神をたたえるのです。 /n  本日の礼拝は、召天者記念礼拝として守っています。生まれながらの私達人間は、罪ふかく、誰一人として天の国に行くことは出来ません。もしイエス様が来て下さらなかったら、私達にとって死は絶望でありました。死はすべてのものを無に帰するものではなく、聖書の信仰によるならば、死は刑罰の意味を持っています。ロマ書7章には「罪が支払う報酬は死です」とあるように、死は、罪の結果として与えられたものです。しかし神様は、イエス・キリストを遣わして人間が受けねばならなかったこの刑罰を代わりに引き受けて下さいました。このイエス・キリストの一回的な死によって、全人類の罪が赦されたのであり、それによって死はもはや信じる者にとっては刑罰でも、恐怖でもなくなりました。 死は、イエス・キリストを信じる者にとっては「永遠の命」に至るプロセスです。 ここに飾りました写真の方々は、イエス・キリストを信じる信仰を家族に、(そして隣人に)遺していかれた方々です。信仰は伝達、継承されていくべきであります。基督教の命は、信仰者が、キリストの復活の証人として家族に、隣人に伝えていくことにあります。写真の方々によって伝えられた信仰が今、ここで礼拝をささげる群れへとつながっていることを覚えて、神様に感謝したいと思います。

宗教改革記念礼拝 「キリストによる和解」 原口尚彰 先生

/n[コリントの信徒への手紙二] 5章16-21節  16 それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。 17 だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。 18 これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。 19 つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。 20 ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。 21 罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。 /n  多くの教会では、マルティン・ルターの宗教改革を覚える日として、10月31日に最も近い日曜日を宗教改革記念礼拝として守っています。1517年10月31日、ドイツの小さな町 ヴィッテンベルク大学の聖書学の教師マルティン・ルターが、城教会の扉に95か条の提題を貼り出しました。提題はラテン語で書かれ、聖職者・神学者達に対して神学的な討論を呼びかけた文書でした。中味を簡単にいえば、当時は免罪符というものが売られており教会建築などに当てられていましたが、ルターの根本的な批判は「人の罪が赦されるのは真摯(しんし)な悔い改めというものがなければいけない。それは他人が代わる事は出来ないし、ましてや立派な信仰者の功徳(くどく)にあずかる為に、お札をお金で買って罪を赦されることはない」というものでした。95か条の提題を貼り出す前も、後も、ルターは何度もそのことを語っています。この当然すぎる主張が大きな反響を呼び,教会の権威への挑戦という意味を持ちました。ルターは同じ文章をマインツの大司教アルブレヒトのもとに届け、アルブレヒトはそれを教皇庁に送りました。教皇庁はこれを非常に問題にして異端とし、ルターは教皇庁の審問を受けることになりました。最初は免罪符というお札の効力の問題でしたが、討論をする過程で、もっと根本的な「人はどうして救われるか」「福音とは何か」「教会はどうあらねばならないか」という議論に入っていきました。その結果、当時の教会と正面衝突をすることになりました。ルターはもともと新しい教会を作るという意図はありませんでしたが、結果として1521年、カトリック教会は彼を破門することになりました。  その年、ルターはヴォルムスでの神聖ローマ帝国の国会で審問を受け、今迄の彼の言動を取り消すかどうかを問われました。彼は「聖書と良心に照らして、全く取り消す余地はない。」と答えました。その結果、彼は神聖ローマ帝国の市民権を停止されました。当時の教会はルターの主張に耳を傾けませんでしたが、神学者や一般市民(貴族・諸侯・庶民・農民)の多くがルターに賛同し、彼の主張はドイツ中に広まり、  ヴィッテンベルク がドイツの宗教改革の中心になりました。更に彼の主張は(活版印刷の技術も手伝って)ヨーロッパ中に広がりました。少し後に、チューリッヒにはツヴィングリという改革者が、又、もう少し後に、ジュネーブにはジャン・カルヴァンが中心となり改革がすすめられ、大きな運動になっていきました。  ルターの行動の根本にあったのは、社会を変えるというよりも我々の信仰のあり方そのもの、「人間はどのようにして救われることが出来るのか」ということであり、彼はそれを聖書-パウロの言葉-に従って 「神の義」ということを問題にしました。神の義についての彼の根本的な確信・認識に照らして当時の教会のやっていることが正しいのか?彼がそれを問題にする背景には、彼が救いを求めて修道院に入り、修道士として非常に厳しい修道生活をした、その修道院での彼の霊的な歩みが根本にありました。彼は神の義が恐くて仕方がありませんでした。いくら善行や修行を積んでも罪の意識は少しもなくならず、神の前に自分の罪意識は深くなるばかりでした。彼にとって神の義は、義にしたがって裁く義でありましたから、彼は裁きを恐れました。その過程の中で彼が見出した結論は「人が神から義とされるのは、律法のわざや良いことを行ったからではない。ただイエスキリストを信じる信仰によって神の前によしとされる」。このことは、パウロがロマ書やガラテヤ書で語っていますが、そこに立ち至りました。神の義とは、神は正しい方で、審判者として人間を裁くのではない。むしろ罪ある人間を良しとする。それはキリストのゆえに出来る。キリストを信じる者を義とする。それは人間にとって、自分が良い行ないをしたとか良い人間であるという功績として受けるのではなく、ひたすら恵みとして受けるものである。このことをルターは「恵みの賜物」と言っています。「恵みの神」の発見、「福音」の再発見ともいわれるこのことは、聖書で言われていたことが教会の長い歴史の中で見えなくなっていたということで、そこに立ち帰ったということです。  新たに再発見された「福音の理解」に従って、ルターは「教会の教えと実践」の全体を見直しました。その結果、福音主義の教会が成立して、私達もその流れの中に立っています。ルターの「実践」の部分の改革では「礼拝」の改革が一番大きかったのではないかと思います。礼拝が正しい形であるべきというのは当然のことでありました。当時の礼拝はラテン語によるミサで、特別な教育を受けた者や聖職者にしかわかりませんでした。聖書朗読と説教の割合は小さく、中心は聖餐式(カトリックでは聖体拝領)でした。キリストの体と血にあずかる。しかもぶどう酒は聖職者のみで、信徒はパンにあずかることが礼拝でありました。宗教改革でまずやったことは、礼拝をわかるものにする為、民衆の言葉であるドイツ語で礼拝がなされました。礼拝では説教(御言葉が語られて説き明かしがなされる)を自分達の言葉で聞くことが出来る。その言葉を繰り返し繰り返し聞くことによって信仰が養われるという私達の礼拝のかたちはここからきています。  当時の礼拝の様子を描いた絵が残されていますが、16世紀の教会にはイスがなく全員立って礼拝をささげていました。讃美歌は聖歌隊が歌い、音楽的には高度でしたが会衆は聞くのみでした。ルターは、会衆が参加出来る簡単な讃美歌(聖書のメッセージを載せた)を作り,広めました(267番「神はわがやぐら」等)。又、当時の聖書はヒエロニムスが訳したウルガタ(ラテン語訳)聖書でしたが、ルターは信徒一人一人が聖書を読めなければならないと考え、ドイツ語に聖書を翻訳しました。<テューリンゲンのヴァルトブルク城に幽閉されていた時、原語のギリシャ語からドイツ語の新約聖書を完成(1922年9月)、その二年後、原語のヘブライ語から旧約聖書を完成させ、このルター訳聖書はドイツの標準語の形成にも大きな役割を果たしました。>  又、ルターは信徒の教育についても心を配りました。教会を廻った時、牧師も信徒もキリスト教教理の基本についてあまりわかっていないことに気付き、牧師の為には「大教理問答書」信徒の為には「小教理問答書」を執筆しました。現在でもルター派の教会では、小教理問答書を受洗者の教育の為に用いています(内容は、十戒・主の祈り・使徒信条・洗礼と聖餐について)。その後「ハイデルベルク信仰問答」(改革派)、「ウェストミンスター教理問答」(長老派)が生まれました。  今日は、改革者ルター・教育者ルターに焦点をあててお話しました。それらを踏まえた上で、その後のカトリック教会の歩みについて少しお話したいと思います。  現在のカトリック教会は16世紀のカトリック教会と同じではありません。大きく様変わりをしました。現在カトリック教会は16世紀に対立した福音主義教会と和解をしようとしています。16世紀にはルターを中心とする宗教改革の流れに対してカトリック教会はノーと言いました。16世紀の中頃トリエント公会議を開いたカトリックは,プロテスタントが「信仰のみ」といえば、「善いわざも!」と言い、プロテスタントが「聖書のみ」といえば、「教会の伝承も!」と言いました。しかしカトリックの歴史を見ると、改革に反対しただけではなく自分達の教会を内側から改革していこうとする動きもありました。  イグナティウス・ロヨラは新たな修道会を作りました(イエズス会)。そして世界中に宣教師を派遣し、その中にはインド、インドネシアを経由して日本にやってきた宣教師がいました。それから数百年たち20世紀の後半になってカトリック教会は大きく改革の方向に舵(かじ)を切りました。教皇ヨハネ23世が召集した第二バチカン公会議で、現代世界における教会の思い切った刷新をしました。その中に、教会憲章では教会を「地上を旅する神の民」といっています。プロテスタントでは、教会は何よりも「聖徒の交わり」といいました。正しく御言葉が語られ、正しく聖礼典が行われる所が教会であり教会は建物・組織を意味するものではないとの主張にカトリックは近づいてきました。礼拝に関する定め「典礼憲章」の中ではミサによる聖書朗読・説教の重要性を強調しました。多様性における一致が基本理念でありましたが、各国語によるミサをやっても良いことになりました。それ以後、各国の国語で礼拝が持たれるようになりました。又,会衆全体で典礼聖歌が歌われます。現象面では五百年たって、カトリック教会とプロテスタント教会は礼拝が非常に似たものとなってきました。  又、公会議ではエキュメニズム(教会一致運動・違う教派の教会が互いに協力しあい、相互理解を深める運動)についても採択されました。その中で東方教会(ギリシャ正教やロシア正教など)やプロテスタント教会を「分かたれた兄弟」と呼び、教会一致のための対話を始めました。カトリックが舵(かじ)をきったので、カトリック主導で様々な神学的な対話を行うようになりました。例えば私が体験したのは、アメリカで1970年代から80年代にかけて代表的なカトリックの神学者とルター派の神学者が集まり定期的に協議をし、教会の重要な教義について一致点を見出していました。洗礼の理解や、ニカイア信条・使徒信条など古代の信条については両者ともあまり変わりませんでした。教会の職務については、カトリックは教皇制があるので難しいです。最後に義認の問題について「神の前にいかにして人は義とされるか」というところまでやりました。予想するよりも多くの一致が出来てきました。ドイツでも同じような試み(草の根的な協議)がなされ、それを踏まえた上で、カトリック教会全体とルター派の教会(世界ルーテル連盟)の代表者達が1990年代、協議を持ち、(ルター派の立場)「教会が立ちもし、倒れもする義認についての教え」「人は神の前にどうやって義とされ、救われるか」の基本的な合意がなされ、1998年、両方の教会の名前で義認についての共同宣言がなされました。「人が神に義とされるのは『恵み』により『キリスト』による」。この原則を共通理解として確認しました。そして16世紀に宣言された相互の断罪は現在の両方の教会には妥当しないこと、それは歴史の一頁であるとしました。  そして次の年の10月31日、ドイツのアウグスブルグで両方の教会の代表が共同の儀式を行い共同宣言を出しました。こんにちの10月31日はルター宗教改革記念日と同時に、カトリック教会とルーテル教会が歴史的和解をしたことを覚える日ではないかと思います。宗教改革記念日は宗教改革を覚えるだけでなく、我々が和解という大きな流れの中にいる、ということを考える日ではないかと思います。  最後になりましたが、さきほど読んだ第二コリント5:16-21は和解の務めについて語っている箇所です。この箇所においてパウロは勿論、「キリストにおける神と人との和解」ということを言います。人間の犯した罪は、神と人との間をそこないます。神と人間との間は敵対関係にあります。その敵対関係を解消して本来の関係に戻す為には両者は和解をする必要があるわけです。神は人間に対して罪の責任を問わないで、かえって御子を通してその罪を取り除いて下さいました。御子イエス・キリストが罪を負って十字架にかかって下さった。その死を通して罪を赦して下さった。そのことによって和解が実現した、ということが大前提になっています。  パウロのような宣教者の務めは、この事実をまず語ります。そして聞く者に、神が与えて下さったこの和解にあずかるようにすすめる、ということを強くいっています。しかし神と人が和解したとはどういう意味なのか。そこから人と人の和解が当然出てこなければいけません。神と人の和解-平和-を語る教会や聖職者がお互いに対立して争うということは和解の精神にもとるものです。  16世紀にはお互いに断罪をしました。しかし500年たちましてその歩みの中でルターが発見した福音の基本的な理解にカトリック側が歩み寄ってきました。両方が同じキリストの体につながる枝として和解したということは非常に意味があるといわざるを得ません。私達はこのように歴史的和解の流れの中に,歴史的な和解の光の中にいるのではないでしょうか。  そのことを覚えながら、私達も神と人との和解、人と人との和解、和解の精神のうちに歩んでいきたいと思います。(文責 佐藤義子)

説教要旨 「後にいる者が先に」 牧師 佐藤義子

/n[マタイによる福音書] 20章1-16節  1 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。 2 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。 3 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、 4 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。 5 それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。 6 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、 7 彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。 8 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。 9 そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。 10 最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。 11 それで、受け取ると、主人に不平を言った。 12 『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』 13 主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。 14 自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。 15 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』 16 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」 /nはじめに  今日の聖書はイエス様が天の国について語られたたとえ話の一つです。内容は、ぶどう園を持っている主人が収穫の時、労働者を雇う為に夜明けに広場に出かけて行きます。そして仕事を得るために待っていた人々に、当時の一日の賃金である一デナリを支払う契約をしました。主人はこの後、再び9時に広場に行き、何もしないで立っている人々に、ふさわしい賃金を払う約束をしてぶどう園に送ります。さらに12時と3時に再び出かけていきます。その度ごとに仕事を待っている人達をぶどう園に送りました。最後に5時ごろ出かけていくと、その時も仕事を求めて立っていた人達がおりました。彼らを雇う人がいなかったのです。主人は、日没前の1時間しかないにもかかわらず彼らを雇います。 /n精算  労働の時は終り、支払いの時が来ました。主人は最後に来た者から賃金を払うように監督に命じます。労働時間が1時間の者から始まり、3時間、6時間、9時間、最後に夜明けと共に働いた者に支払われました。一時間しか働かなかった者達に一デナリの賃金が支払われたのを見た最初に雇われた者達は、自分達はそれに上乗せしてもらえるだろうと期待しました。しかしぶどう園の主人はすべての労働者に、労働時間に関係なく同じ一デナリを支払いました。 /n不平  夜明けと共に働き始めた最初の労働者達は、自分達はまる一日暑い中を辛抱して働いたのに、たった一時間しか働かなかった者達と同じに扱われたと不平を言いました。それに対する主人の答は、「友よ、あなたに不当なことはしていない。」でした。「私は最後の者にもあなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしてはいけないか。それとも、私の気前の良さを妬むのか。」と言いました。 /n主人と労働者  主人とは神様のことです。地上の人間は、みな、自分の本当の主人に出会い、自分の仕事を得たいと願っています。しかし多くの人々は、自分の本当の主人(命を与え、この地上に存在させ生かして下さる方)に会えずにいます。たとえで、主人に出会うことが出来た労働者とは、神の国の民として招かれた人達です。彼らはとても幸せな人達です。 /nたとえの意味  たとえで、広場に行く時間や主人に声をかけられた時間の違いは何を意味しているのでしょうか。「先の者」はユダヤ教徒、「後の者」はキリスト教徒と読む人もいますし、すぐ前に登場したペテロを「先の者」と読み、ペテロより後からイエス様に従った者を「後の者」と読むことも出来ます。或いは、夜明けから日没までを人生にたとえて、救われる時期を「先の者」と「後の者」というふうに考えることも出来ます。一般社会では、働く時間数が多ければ報酬も多いのが当たり前です。しかし神様は、一人一人の努力や仕事量、業績に応じて報いを与える方ではありません。天の国は、神様の視点ですべてが行なわれます。主権は神様にあります。神様がご自分の祝福をご自分の民に対してどのように分配なさろうと、それは神様の全くの自由意志によります。主人は不平を言った者に、「私の気前の良さをねたむのか」と言いました。「ねたむのか」は「あなたの目が悪いのか」という意味の言葉です。ねたみは神様のなさることを神様の視点で見ることの出来ない悪い目を持っているということです。 /n「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」  ぶどう園での労働も、最後に来た者が最初に賃金を受け取ることが出来たのも、時間に関係なくすべての人が一日分の賃金を与えられたのもすべては雇い主(神様)の憐れみによります。「先にいる者が後になる」とは、この憐れみを忘れて自分の体験からいつしか傲慢になり、他の人と比較して不公平だとふてくされ、他の者が自分と同じ報酬を受けることを喜ばない人です。そしてあたかも神様が不正をしているかのようにつぶやく人です。私達は、今一度、神様の主権の前に頭を低くして、先走りすることなく、人と比較するのでなく、自分に与えられた分を感謝し、今ここにいることに心から感謝をささげたいと思います。